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日本茶道

作者:聖潔 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-2 15:47:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

『日本茶道』 僕はずっと前から日本の茶道を体験してみたいと思っていました。中国ではお茶は儀式があまり必要でない、日常の飲み物であると捉えられていますが、日本に入ってくると、厳格で精密な儀式が付くようになりました。
 日本にはこのほかにも華道や剣道、武士道な どもあり、なんにでも「道」がつくようです。これは国にいたときには想像もつかなかったことです。

 中国人は安らぎを求める志向があります。林語堂の言うように、中国人にとって生活の芸術とは、自由自在でゆったりとしたライフ スタイルそのものを大いに工夫して、いろいろ潤色していくことであり、すなわち人生を楽しむためのものだと言います。
 例えば、福建省の人は、家々の玄関の外にティー・テーブルを置くのが普通です。テーブルの上には鉄観音をたっぷりいれた紫砂壷を置きます。
 お茶を飲むときには、その茶壷の中にお湯を足します。茶呑みは日本のものより小さく、25グラムほどしかないものもあります。
 そばには大きな茶碗があり、中に水を満タンに入れます。まず、茶呑みを大きな茶碗にいれて漱ぎます。それから一回目のお茶で再度漱ぎます。というのも、一回目のお茶は、色が薄くて香りが少ないためです。
 漱いでから、その水も一回目のお茶も一遍捨ててしまいます。二回目のお茶は、透き通った琥珀色に変わり、香りもかなり立ってきます。
 お茶を飲みにくる友達がいれば、まず友達に飲んでもらいます。飲むと、香りがすぐ口に中にどんどん広がっていき、そして、なんと気楽なひとときだろう!
と感じ入るものです。
 主人がつぎつぎとお茶を注ぎ、みんなでお茶を楽しみながら、話も弾みます。ですから、北京にいたときに最も楽しみにしていたことは、週一回、先輩の家にお茶を飲みに行くことでした。そしてついでに本を何冊か借りてきたものでした。

 東大にきてからというもの、国から好きなお茶を持ってはきましたが、テーブルを囲みながら友達とお茶を楽しむ、温かいお茶会はもうありません。
 もんもんとして数週間が過ぎましたが、ある日、チューターが日本の茶道を見に行かないと誘ってくれました。僕は、「またお茶を楽 しめるんだ!」
と喜んで応じました。
 東大にはいくつかの茶道部があります。茶室はキャンパスの中にあります。放課後、事前に約束したとおりに、何人かの留学生が日本茶道を体験しに茶室に集ってきました。
 茶室はキャンパスの隅っこにあり、僕らは落葉を踏みながら、しばらく探して、ようやく茶室を見つけることができました。茶室は切妻造りの小屋です。屋内は二間に分けられ、外の一間に凹字型の長テーブルがあり、その上はすでにふつふつと水音が立ち、蒸気が漂っています。奥の一間の真中には炉が切ってあります。
 茶道部の学生によれば、外は座ってお茶を飲むのに対して、奥は正座してお茶を飲むところだというのです。僕は常々、日本茶道を中国の友達に紹介したいと思っ てはいるものの、正座に対してはやはり抵抗感
が少々ありまして、結局、外の茶室を選びました。

 お茶を点ててくれる女の子は、茶道部の先輩です。彼女の紹介によると、東大の茶道部は大きく二つの流派に分かれているそうです。一つは表千家と言い、いま一つは裏千家と言います。ともに茶道の創立者の千利休にちなんで名づけられたそうです。
 僕らがきているのは、表千家派の茶道部です。表千家だから、きっとよりお茶の礼儀を重視するのだろうと僕は密かに思いました。思ったとおり、先輩は茶を点てる席に座ると、たちまち厳格な顔になりました。周りはそんな彼女を敬うような厳かな雰囲気となりました。
 彼女は、まず茶点ての炉、足し水を入れる壷など、一つ一つ丁寧にみんなに見せました。次に外が黒で中が赤の塗り茶碗を一個取ってみんなに見せます。とても清潔な塗り茶碗です。
 続いて彼女はブラシを一個取り出しました。このブラシを見た瞬間、僕はとてもびっくりしました。というのも、家のお鍋を洗うために使っているものと、あまりに似ていたからです!
このような厳かな場所で、この大きなブラシがいったいなんの役目を果たすのだろう?と不思議に思いました。
 彼女はブラシを掲げ、一回り見せたあと、先の塗り茶碗にお水をいれて、サッサッサと、茶碗を洗いはじめたのです。これだけで、日本の茶道は中国のとはまったく違うのだということを納得させられます。というのも、その場でブラシで茶碗を洗う作法は、中国では見当たらないからです。
 あれやこれや思いを巡らしているところ、茶点ての先輩は、どこかから抹茶の入った茶箱をとりだしました。化粧箱くらいの大きさです。彼女は、シルク製のハンカチで、茶箱を丁寧に拭いてから、蓋をあけました。中には待ちかねていた、日本の伝統的な抹茶が見えました。
 先輩は抹茶を少し、洗い終えた茶碗に入れ、木製の杓子でお湯を入れてから、今度は先に使ったブラシでお茶を混 ぜはじめたのです。僕はちょうどお菓子を食べ終えて、ブラシから垂れている緑の水を見て、ぼーっとしていたのですが、お茶ができあがり、僕の前に廻ってきました。
 
 とにかくお茶を飲む作法がいろいろありまして、茶道部員たちから教わりながら、やっと右手で茶碗をもち、左手で茶碗の底部を支える姿勢を整えました。そうしてようやく伝説の抹茶を間近なところで見る
ことができました。
 濃い緑色で、ぶつぶつ泡が立っています。 いつも透き通ったお茶を見慣れてきたせいか、「本当にこれを飲むのか?」という戸惑いが一瞬生まれました。
 ぐずぐずしている中、周りのメ ンバーが僕のほうを真剣に見守ってくれているのを見て、一種の悲壮な気持ちが湧いてきて、歯を食いしばってぐっと一気に飲み干し ました。
 まだどんな味か分かっていなかったけれど、今度は、茶碗を鑑賞するようにと教えられました。僕は真剣な顔をして、左側から右側へ、そして最後に茶碗の底部の模様を鑑賞しました。
 しかし、その次に、周りの人たちにも渡して鑑賞してもらおうと、茶道部員たちが言いだしました。「いや、そんな!僕が自ら使った茶碗を見るならまだいいけど、他人に見せるなんて!
」となんだか僕は照れてしまいました。
 だって、茶碗の縁にまだ飲み残した茶の粉があって、自分の飲んだ跡もそこに残ったままだから、人に失礼なのではないかと思ったからです。
 でも、鑑賞するメンバーを見ると、みんな茶器だけに注目して些細なことは気にしていないようなので、僕はホッとする一方、なんだか自分だけが俗っぽい人間だなと、恥ずかしく思いました。

 続いて、他のメンバーがお茶を飲む番となり、僕も人の茶碗を鑑賞させてもらいました。先輩は、ずっと正座したまま、つぎつぎと人のためにお茶碗を洗い、お茶を点てていました。
 最後の人の茶碗を洗い終えて茶壷に水を足すと、ようやくそこから立ち上 がることができるようで、お辞儀をして退室していきました。僕らも感謝をこめてお辞儀を返しました。
 その後、厳かな空気が一気に吹き飛ばされた
ようで、メンバーたちは、先ほどの茶点ての席を囲み、そこに置いてある茶道具についてわいわい言いながら、あれこれ質問を連発しま した。
 しばらくためらって、僕はやっと気になる質問を口に出しました。「あのぅ、このシルク製のハンカチですけど、茶箱やお茶碗や、それに杓子、ブラシなど、全部これ一つでふきましたが、ほら、いまも茶粉がついています。これ、途中で洗わないんですか?」
 僕の質問を聞いた日本人の学生たちは、それまでこの問題を考えたことがなかったようで、しばらく戸惑っていたようですが、こう言いました。「シルクだから洗わないけど、後で掃除機をかければいいんじゃない?」――。
 もう一人の学生が尋ねました。「あのぅ、なぜ一つのブラシしか使わないんですか?」…。

 ともかく、日本の茶道を体験することができたのです。帰りの途中、僕は急に、最も大切なお茶の味について何も覚えていない
ことに気 づいたのです。きっと夢中で一気に飲み干したからです。
 後でじっくり思い出そうとしても思い出せず、きっと抹茶アイスクリームのような味がしたんだろうという結論になってしまいました。
 
 ところで、一握りの茶葉の裏に、実にいろんな物語があることをご存知ですか?日本の緑茶は、明治維新後、欧米への輸出量が速くも中国を超えました。その理由の一つは、日本緑茶の加工において、日本人は茶葉に含まれている栄養成分の維持にとても力を入 れており、お茶の質も非常に均一であったからです。
 中国のお茶の加工方法は、伝統的な茶味を重視したあまり、欧米各国の栄養重視という需要を見逃してしまっていたのです。なので、19世紀末になって、中国はお茶の輸出競争の中で敗れてしまいました。
 日本の茶道において、お茶の葉を細かく刻んで、ブラシで混ぜるのは、葉と水の接触面を拡大させ、お茶に含まれている栄養成分が水に溶け出すのを促進する役割があるからだそうです。
 お茶とともに出されたお菓子は、比較的甘めで、ちょうどお茶の苦味を中和することができます。ですから、お菓子の味もちょうど良いくらいになるわけです。
 茶室にコレクションされている茶器は、それぞれ違う風格をもっています。陶土や顔料の質などの違いに、焼く過程の温度などの要素が加わり出来上がった焼き物は、人の技と自然の力とが絶妙に融合した産物
となり、とても鑑賞価値があるそうです。
 茶室にもかなり気を使うといいます。例えば、「主人の徳」という雰囲気を創出するために、必ず林泉庭園の真中に位置しなければならないという定めがあります。
 また作法がいろいろ細かく定められていますが、世間から離れてしばらくこの煩雑のように見える茶点てを体験すると、気持ちが落ちつくそうです。
 よく雑念が何も入っていない人は、問題をより一層深く見極められると言われます。ですから日本の政界では、悩みがあるとき、とりあえず茶道を楽しもう
という人が少なくないというのです。これは中国の三国時代の劉備が、野菜栽培を楽しんだのと同様と理解しても良いでしょう。
 そして、再び世間にもどった政治家たちは、腕が一層高まるらしいのです 。これらの説はもちろん後で他人から聞いたもので、一応ここに書き記しておきます。

 千利休は日本の有名な才子として広く知られています。「聡明的一休」(一休さん)は彼をモデルとしたアニメだそうです。賢い人なのに、なぜこんなに煩雑な茶道を思いついたのでしょうか?僕は一時、不思議で不思議で仕方ありませんでした。
 そしてある日、やっとシャガムニ仏のことを思い出しました。7年も菩提樹の下で過ごしたジャガムニ仏は、きっとずっと人生や宇宙万物について、いろいろ考えたのだろうと思いますが、その結果として、「万物皆無」という結論を導き出したのです。
 つまりすべて無に帰したうえは、我も我ではない、我が樹でもあり、草でもあり、万物でもある一方、万物が我であるということです。そして、ジャガムニ仏は世間の人々にも悟らせるため に、生死を恐れない、神聖を侮辱しないように、いろいろ定めを書き残したでしょう。
 千利休も当初ジャガムニ仏と同じような主旨で、い ろいろ考え尽くしたあげく、形式に固執したのでしょう。お茶を飲むなら、水の色や、茶器の形と模様、お菓子の組み合わせ、そして茶室の環境まで、隅々まで厳しく定めました。
 それは、後人が茶道に費やす時間があまりないと見て、見える形式を通して自分のお茶に関する知識を伝えよう
とした思いが込められているのではないかと僕は思いました。
 茶道を理解できない人は、とりあえず見たとおりに形を真似します。そうするだけで、千利休が出したお茶の味を100パーセントとまでは行かなくとも、60パーセントくらいまでは味わうことができるのではないでしょうか。

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