「先進国」と言うのは、信用制度が発達した国であると言われます。信用というのは、催促されなくても自分からお金を払うことだと、私はずっと思っていました――。
都内の繁華街の近く、とある大学の正門のすぐ隣に大学の事業部のショップがあります。 ここで販売している文房具や本は、大体1割引で買うことができます。これはもちろん学生にとっては大いに役に立つことです。 本屋の面積はそれほど広くはありませんが、先生が指定したテキストがその店になければ、予約をすることが出来ます。 予約をしてから二週間以内には、その本を取り寄せることが出来るのです。
ただし、予約をする際、500円の予約金を払わなければなりません。後でその本を買わなければ、その予約金は戻ってこないという仕組みです。 予約するときには電話番号を記入し、本が届けば電話で知らせて貰えます。本を受け取る時に、予約金以外の残金を払えば良いのです。 この制度は非常に便利だと思いますが、予約金というものについては、ちょっと理解しにくい部分があります。なぜなら、大学以外の本屋で本を予約する時には、予約金などというものは取らないのが普通ですよね。 日本は先進国だし、大学の人間は一般の人に比べてエリートでもあるのだから、お金を払わないなんて事はある訳がないでしょう。私は最初、これは人間不信すぎやしないか?と思いました。
その後、私は正式にその大学の大学院に入学しました。研究科の院生自治会は、大学院生の本の購入に便宜を図るため、近所の大きな本屋と協議して、大学院生一人一人にその本屋のカードを配ることにしました。 そのカードには、所有者の住所と電話番号が記載されています。そのカードで本を買う場合には、現金で支払う必要はありません。本を購入する代金は月末一括請求となり、なおかつ本の値段から1割引いてくれるのです。 お金がなくて、少し遅れて代金を振り込んでも、利子などは請求されないので、本を買うためのクレジットカードのようで、非常に便利な制度だと思いました。
しかし、次年度の新学期が始まった時、その本屋が、カードの更新はしてくれたものの、代金の支払いが悪いとこぼしている、という声が聞こえてきました。院生自治会はみんなに迅速な支払いを呼びかけるようにと要求しました。 会議で自治会長が、本屋の要求をみんなに知らせたとき、みんなはお互いの顔色を覗きあって、だれも本の代金を払わないような人間ではないと思いました。遺憾に思いながらも、しかし、その後本屋のその要求は、日常茶飯事になっていったのです。 プライバシーの保護のためか、本屋からのお知らせには「だれか」という名前は出ませんでした。でもお知らせだけはしょっちゅう来て、自治会の幹部は恥ずかしながらも、それにすっかり慣れるようになってしまいました。
事態は自治会の会議で呼びかけるだけでは埒が明きません。なぜなら、二年生になった人の会議出席率はすごく悪いのです。会議は一年生のためのもののようでした。 つまり本の代金を払わない人間は、会議にも一度も出席したことがない、ということが十分に考え得るのです。いくら自治会の幹部が呼びかけても効果がないというのは、きっとそのせいでしょう。 三年目になると、その本屋はとうとう諦めて、私達のカードの更新を打ち切りました。本の代金を払わない人間の勘定は、自分で処理するようになりました。
その後日本人の大学院生と付き合っているうちに、本当にやせ我慢というものをする人間がいるのだということを知りました。 九州出身のある友達は、学費は実家が払ってくれるけれど、生活費は自分で稼ぎなさいと言われたそうです。彼は東京に来ても、お金をたくさん稼げるバイトを探すことが出来ずに、学生部から紹介された安い時給の家庭教師に甘んじていました。週5日といっても、時給と時間が少ないので、週に1万円足らずしか稼げません。 そんな彼は、一日一食で過ごし、先生が指定した教科書も買わずに、友達から本を借りてコピーで済ませるのです。(大学院生はお金を払わないコピーカードを持っているのです。) みんなで一緒にコンパをやるときも、食べ物の注文が少なくても、彼に多めに食べさせるように、というのがみんなの暗黙の了解でした。
彼の寮には冷蔵庫がありますが、中には焼酎の大ビンが一本入っているだけです。これは彼なりのコツなのです。お腹が減ったら、それを一口飲んで我慢するというのです。 彼がこんなにやせ我慢をする理由は、早く卒業したいという思いがあるからなのです。彼の指導教授は、彼に学問の道に進むべきだと勧めたのにもかかわらず、彼はもう就職先に内定してしまいました。今は隙を見て教授に告白しようと思っているところだ、ということです。
この人のように貧乏な生活を我慢していく人は少数だと思います。今の日本の若者は、カッコよく生きていきたい人が多いようです。クレジットカードと円ショップの利用が多いのは、その証です。 円ショップとは高利貸しのことで、身分証明書があれば、誰でも契約できるそうです。日本のクレジットカードには限度額がありますが、何枚でも作れるし、違う会社のカードを使うこともできます。 クレジットカードで買い物するのは、割引がありますが、お金を支払う感じは全くありません。知らないうちに貯金を使い果たして、支払うことが出来なくなれば、個人の倒産になってしまうでしょう。 90年代後半になると、このようなケースが増えてきました。去年、ある若者が、800万円程度の通帳のために、自分の祖父母まで殺害した事件がありました。 よく言われるように、日本の社会では、お金を持っているのは老人です。彼らはお金を投資には使わずに銀行に貯金します。これは日本経済の不景気の原因だと聞いています。 日本の若者にはあまりお金もないし、就職のチャンスも多くありません。ですから、今の若者にはフリーターが多いのです。でもアルバイトの給料は安いし、それで贅沢な生活はできないので、それが円ショップの利用が多い原因の一つだということです。 人によっては、お金を稼ぐのはいやで、使うのが大好きという人間も増えています。繁華街近くのパチンコ屋では、開店する前から百人ぐらいの列が並んでいるのが普通です。 東京郊外の小さい町でも、普通のサービス業はどんどん倒産しているのに、パチンコ屋だけは大繁盛で、店舗数も増えるばかりです。 一方では、アルバイトで稼いだお金をどんどんつぎ込む主婦やおじさん、給料の一部でちょっと遊ぶサラリーマン、もう一方では、パチンコ屋に仕事場のように通い、その収入で食べていく若者――。
裕福社会の病気はだんだん日本社会を蝕んでいるようです。
|