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料理番組と横並び
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作者:胡自信 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-6 8:08:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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日本の上の世代のテレビ番組評論家たちは、日本の料理番組についてこう語っています。「今の料理番組は、20年前とまったく変わることがなく、ちっとも進歩が見られない!」と。 たとえば、味の見せ方や店を選ぶ基準、出演する人物の紹介ぶりまでも昔のままです。 海外の豪華料理の取材にせよ、国内の町でおいしい料理を探し求めるにせよ、番組に掛けるお金が増える一方で、番組の本質は少しも変わっていないのです。 あえて変わったところを言えば、昔の料理番組は、出演する人が美人でないと人気が出ませんでした。 それに対して、今の料理番組は、もちろん料理の味の優劣ではなく、出演する有名人のランク付けが人気番組になるかどうかのキーポイントになっているのです! そういう番組の一番典型的な味の表現は、出演している女性芸能人がまず一口食べ、まだ噛んでもいないのに、大げさに「おいしい!」と目をまん丸にして、びっくりした表情を演出するものです。 しかもその表情は出演する人みんなそっくり!表情の他に、食べてみせるときの仕種もみんな同じです。たいていの出演者は、両腕をテーブルの上に置いて、両足は座布団の上で胡座をかいています。 その姿勢は家庭料理店でよく見かけるばか娘がとっている姿勢とそっくりです。そして出演者は、物を食べながら、大きな声でご馳走になっているお店のご主人に話しかけるのです。もちろん、つばきと食べ物の粒が空中に飛び散る場面がしばしば見られます。 それよりもっと悪趣味的な料理番組は、外国料理をむちゃに評価したり、食いしん坊コンテストをしたりするような番組です。 日本にきた中国女性は、自宅で日本人の女性友達にご馳走することもありますが、たいていの日本人女性は、まずお箸で料理を掴んで、あまった手でお箸の下のほうで受け取る姿勢を構えて、そして一口噛む、噛むと何回かもぐもぐしてから、ちょっと大げさに「おいしい!」と賛美してくれるのです。 こういう食べかたは、まさに日本の料理番組のコピーです。番組の中でそうした食べ方があまりに濫用されているので、日本中の女性ができるようになったのでしょうね。 こうして、今日、千篇一律の料理番組がテレビに登場し、また日常生活の中でも無数に上演されているのです。しかし、中国人はこの現象を見て、いつも戸惑っているのです。 「向こうは本当においしいと思っているのだろうか、それともただの礼儀なのだろうか?」と、相手の表情だけを見て、本当に口に合うのかどうか読み取れないからです。 日本の料理番組ブームは、20年前、すなわち70年代末から80年代初頭にかけてあったそうです。最初の制作者は、30~40代の中年制作者でした。 彼らは、たいてい1945年前後の生まれであり、食品の豊富でない時代に育った人達です。そのときの視聴者層も制作者と同じ年代の人が多かったので、料理番組は始めから一気に人気番組になっていきました。 しかし、かつて適用された分析は、必ずしも今日の視聴者心理と一致してはいないようです。今日の料理番組は相変わらず人気番組ではありますが、その人気の後ろにある本当の理由は昔と違って、むしろ、今の日本人の「横並び」という習慣が、その理由なのかもしれません。 「横並び」という、現代日本人に特有の審美眼と価値観は、他人との比較と他人から同意を求める心理の中で生まれてくるようです。 また、今の料理番組の視聴者は、主に女性であり、専業主婦のほか、一般の若い女性も多いのです。日本では、女性間の日常的付き合いの中で、個人が目立つことはあまり好まれないので、そういう「みんなと同じでなきゃ」という潜在的な「常識」が、普段の会話の種をコントロールしているようです。 しかも、この「常識」は、「ファッション」に密接に関係しており、また「ファッション」はメディアにより左右されるものです。 「ファッション」とは、商品や日常用語、お店や服装、化粧品や仕種など、あらゆる物を指しています。もし、普段からの付き合いであっても、相手のファッションについての話題に詳しくなかったら、共通な話ができないので、時代遅れの人間だと思われてしまいます。 おいしいお店については、友達とよく行く地域にある、有名人が紹介していたお店は、仲間たちの「常識」になっているものです。 もし、誰かがそのお店を知らなかったら、自分の中である種の喪失感を感じるようです。おしゃれな若い女性達の間で、お互いの「常識」を確認し合うために発信する言葉は、暗号のような記号を使います。 お互いに「暗号」で会話をし、そうすることによって、自分がグループ内の人間だという満足感を得るのです。もし、誰でも分かる言葉で会話をしたら、相手に疲れを感じさせるほかに、疎い気もさせてしまうでしょう。 ですから、友達が好きな番組は自分もよく見なければならないのです。仲間と「常識」を共有することによって、自分自身、付き合いの枠の中での居場所を維持するということなのですね。
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