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豊かな国の貧乏生活
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作者:江尤 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-6 8:13:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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景気の良い時には、人々のストレスはなかなか表面化されないものです。人手不足の会社がいたるところに転がっている好景気の時代なので、「此処不留爺、自有留爺処」(私を必要とするところはきっとどこかにあるという意味)、人はまじめに仕事をしたならば、それに相当する給料を貰えるし、上司にも大事に扱われるに違いないのです。 しかし、一旦景気が悪くなろうものなら、いろいろな問題が「雨後のタケノコ」のように次々と出てくるのです。ご存知のように、日本には終身雇用制度、年功序列制度の伝統がありますが、でも年功序列の本当の意義はなんですか?と聞かれたら、正確に答えられる人は少ないでしょう。 日本では、会社に入ったばかりの新入社員は、会社に対する貢献と会社から貰う給料が実にアンバランスです。貢献は給料より多いものです。 普通、社員の年齢の増加に伴い、貰える給料は段々上がっていく仕組みになっています。入社15年がたってから、やっと貢献と給料のバランスが取れるのというのが一般的らしいのです。 不惑の年代に入り、そこから給料は貢献を上回り始めるのです。つまり、昔の苦労が今になってようやく報われるようになるという訳です。 90年代半ば、大手企業は大規模の建て直しを始めました。まず取り掛かったのは、リストラと能力主義の導入です。 リストラ対象は主に40代の社員であり、能力主義の導入に最も影響を受けたのは、30代の社員でした。 彼らの立場に立って考えて見ると、ずっと終身雇用と年功序列を信じてきた彼らは、若いころ、精一杯会社のために働いてきました。 長い間ずっと低い給料で我慢できた理由も、将来今の苦労に見合う報いを貰えると信じていたからです。 しかし、企業の再建のおかげで、彼らは会社の邪魔者になってしまったのです。彼らは、企業のコスト高騰の主な原因となってしまったというのです。 これは裏切り、あるいは詐欺といってもいいでしょう。 社会(世間)という怪物は、日本のサラリーマンの頭に、固定した生活方式や考え方をしっかりと植え付け、その後また彼らを見捨ててしまったのです。 企業のリストラ作戦の後は、社員の仕事は前よりぐっと増えてしまい、しかも仕事の殆どは30代の社員に任されてしまうのです。一人で以前の2、3人分、多いときは4、5人分の仕事を負わされてしまうのです。これで明らかなように、首になっていない社員の生活も、それほど容易ではないです。 以前読んだサラリーマンについての調査の記事を思い出しました。その内容は、日本のサラリーマンがどこで一番気楽さを感じるか、というものでした。 最も多い答えは、「電車の中」だというのです。とても不思議に思いました。これは虚竹(*1)が、一番幸せなのは、西夏(*2)の氷の洞窟の中にいるときだと言っているのと同じような答えです。 満員電車や通勤地獄などは、日本の大都会を描写するときよく使われている言葉ですが、地獄とされてきた満員電車なのに、サラリーマンにとっては一番楽に感じるところだというのです。 ここから、サラリーマンは、肉体上の感覚より精神上の感覚を求めるているのだ、ということが分かったのです。 最近、有名な記者の築紫哲也は、テレビで映画監督の山田洋次と評論家の佐高信と、日本のサラリーマンについて対談し、それを本にしました。 書名は『築紫哲也の現代日本学原論』です。おもな論題は「日本人は‘社畜’から脱皮できるのか?」というテーマです。 ここでの「社畜」とは、本来の野生生活をする能力を失ってしまった家畜の意味合いを借りて、日本のサラリーマンは会社に飼育されている家畜のように、会社から離れたら生きて行けない、ということを比喩した言葉です。 対談に登場した、山田洋次が監督した映画シリーズの『男はつらいよ』(中国語名:寅次郎的故事)は、日本ではとても人気のある映画です。その原因は、寅次郎の生活様式が、現代の日本人サラリーマンのそれと、鮮明に対比しているものだからです。 日本人は絶え間ない努力を通して、寅次郎のような人が生存できない社会システムを構築してしまったようです。こうして構築された日本社会は、多種多様な生活方式を許したり認めたりしようとはしなくなり、その結果、社会の活力を抑止してしまいました。 実は、当時このほかに、もう一つの映画シリーズ――『釣りばか日誌』が、日本の観客に大歓迎されていました。『釣りばか』の主人公は、大自然を愛するサラリーマンで、大きな会社に身を置いているにもかかわらず、心はいつも海に向かっていて、職を失う危険を冒しながらも、大好きな海のそばに固執する人物なのです。 そんな彼は、自分の上司にへつらったりせず、好き嫌いをはっきりと言い、その反面、途中でしばしば醜態を晒したりもする人物です。 彼は会社の社長のことを、半ば同情し半ば皮肉を込めて、兄弟のように扱ったりするのです。彼の仕事態度は不真面目だと思われていますが、いざとなると、勇敢に責任を負う男です。 彼は、食いしん坊で遊び好きで好色であり、人情を大切にします。彼の物語は日本のサラリーマンの神話とされるほど人気があるのです。 築紫哲也はこんなふうにサラリーマンの苦衷を述べています。「みんなが家に帰らないので、僕も帰れない。みんなが休みを取らないから、僕も休みを取れない。僕らは、目にみえない威力に支配されていて、受身で活動するしかないんです。 それは雰囲気だといわれるかもしれないですが、僕はそれを‘世間’であると言いたいのです。このような社会で生き残るために、最もしてはいけないことは、恥をかくことです。 つねに世間に注目されているから、恥をかかないように、いつも心がけていなければならないのです。これこそ、サラリーマンが過労死や過重労働に陥る背景を作ってしまうものなのではないでしょうか。」 築紫さんの上記の話は、社会の中で自己主張をしたい人の立場になって発せられた苦情だと思います。でもさすがの彼も、ほかに選択余地のない人がまだ存在していること、そのような社会を作ってしまった、資本(お金)という名の怪物の存在を見逃してしまったようです。 人々が互いの人格を尊重しあう社会を築くためにまず必要なのは、人々がちゃんと自己主張ができることです。それに、資本の横行を抑止することです。 これだけのことを実現しなければ、日本人が豊かな国の中で貧乏生活を送る運命から、永遠に脱出できないでしょう。 *1)虚竹:宋代、日本に尺八を伝えたとされる僧侶。
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