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日本人は働き蜂?

作者:Nini 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-6 8:13:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

私がまだ中学生だった頃、『参考消息』(中国の新聞の一種)に載っているある記事を読んだ覚えがあります。記事の概要はこうでした。
 ある日本人がドイツに移住し、そこで仕事を見つけました。彼は一生懸命、がんばって毎日を送っていたのですが、しかし、しばらくして思いもよらない事態が発生したのです。彼はドイツ人の同僚たちに起訴されてしまった
のです。
 原因は彼があまりに仕事熱心すぎたので、周りの同僚たちに圧力を感じさせてしまい、みんなの労働強度が押し上げられてしまったということだったのです。
 
 この記事は、当時の私たち同窓生の間で、笑い話として広がりました。そうして、
「日本人は働き蜂だ」
というイメージが、私の中に深く根ざしたのです。
 偶然なことに、10年後、私は日本に留学に行くことになりました。空港から学校へ行く途中、一気に伝説の日本を見抜いてやろうとばかりに、ずっと目を丸くしていたものです。
 当時、夜の9時を過ぎても、道端に立っている高層ビル群には、まだ明かりのついているオフィスがたくさんありました。思わず、前に読んだその記事を思い出して、「日本人って本当に働き蜂だね!」と、心の中で呟いたのです。
 
 その後、だんだん日本人との接触が増えていくにつれて、日本人が日常生活の中で
「がんばる」
という言葉を、極頻繁に使っていることが分かってきたのです。
 勉強や仕事の場合にだけでなく、スポーツをするときでも、よく「がんばれ」と励まされたりするのです。また、お別れのときや手紙の文末になどにも、「がんばれ!」を言い忘れないのは日本人です。
 そして最も面白いのは、結婚披露宴の時にも、新郎新婦に「がんばれ!」と言う人がいるんですよ!その時の「がんばれ」の意味は何なのでしょう!?まったく想像もつきませんね。
 「がんばれ」は、日本人が生まれつき持っているもののようです。日本社会全体も日本の国民も、いつも
「がんばる」雰囲気に包まれている
ようです。 
 
 中国人の友達と世間話をしている時、たまに日本人の勤勉さと仕事効率についての話題が出ますが、私はいつも日本人はすごいと感心していたのです。
 でも、友達はそうとは思っていないようで、「日本人は仕事の効率が高いというよりむしろ、時間の投入が高いというほうが適切だ。」と彼らは言うのです。
 日本人が仕事をするスピードは少しも速くはない、しかも
仕事の手続きの複雑さと人間関係の調整の難しさ
は、中国人にも負けないほどだというのです。
 たとえば、3日間で決定しなければならない案件なら、アメリカ人はたぶん2回の会議をするでしょうが、それに対して、日本人の場合は、会議を5回もする必要があるかもしれません。
 ですから、日本人にふさわしい言葉は、「高効率」ではなくて「高投入」だというのです。日本に来た当初、私は日本についてまだ理解が浅かったので、彼らの言ったことを確認できなかったのです。
 
 でも、日本での滞在が2年弱を過ぎた今では、日本人の仕事ぶりをたくさん見て、以前の考えも少しずつ変わってきました。
 日本人は、私がかつて思っていたような「働き蜂」ではなくなりました。少なくとも、一般の中国人が持っている「働きすぎの日本人」ではないと思い始めました。
 なぜかというと、まず日本人は仕事に懸命であるというよりむしろ、
懸命にやっているように見せかけている
といった方が当たっているからです。たとえば、以下の例はその特徴を良く示すことができると思います。
 工事現場の作業員
 よく街で見かける風景ですが、工事をする人たちは、みんなチャールズ・チャップリンがいつもはいているズボンと、よく似たような作業着を着ているのです。
 ただ唯一違うのは、その作業着のズボンの筒が、チャップリンのよりさらに大げさにダブダブになっている点です。
 中に赤ん坊を入れられるほどのスペースがある、と言っても決して言い過ぎではありません。
 あんなにだぶついた作業着を着て、どうも仕事に便利なようには思えませんが、でも作業員たちは、それを着て
ユラユラと歩くのを好む
のです。
 彼らの歩く姿は相撲取りに似ています。彼らのその姿は、みんなに「僕は仕事をしているよ」という見せつけのようです。
 ですから、彼らのそのズボンは、仕事の便益のためというより、むしろ
仕事の態勢を示す役割
があるのではないでしょうか。まずは仕事に対する姿勢が一番、ということですね。
 
 またそれだけではなく、仕事の姿勢を示すことによって、仕事する人に特別な気迫(意気込み)を持たせるのです。たとえば、大都会で走っている自動車は、普通クラクションを鳴らさないのですが、工事用の車はその例外のようで、まるで仕事をしているから、
他の車より特権を持っているかのよう
です。
 また運送車の運転は一般の車よりぶっきらぼうです。ある夜のことですが、私が自転車に乗って、とある十字路に差し掛かったところ、ちょうど青信号だったので、私は止まらずにそこを渡ろうとしたのですが、そのとたんに横の道から急にトラックがこっちに突っ込んできたのです。
 ギギーッと、私の自転車とぶつかる一歩手前で、向こうは止まったのですが、その時の驚きは、初めて地震に出くわした時の衝撃に負けないほどでした。
 そのトラックの車輪はすでに「止まれ」の白線を越えて、横断歩道に突っ込んでしまっていたのです。一般の車だったら、決してこういうことは起こらないものです。というのも、たいていの車は、白線までまだ距離がある所で減速するからです。しかし、トラックは例外のようです。なぜなら、彼らは何たって「仕事中」なんですから!
  
 仕事する姿勢ばかりを重視する結果、人々は仕事の成果はともかく、
仕事態度そのものにしか目を向けなくなってしまった
ようです。
 以前、レストランでバイトをしていた頃、仕事中疲れたら、多少仕事するスピードを遅くすることができたのですが、完全に休むことは出来ませんでした。
 というのも、日本では人が仕事中に休むことはあまり好ましくないので、他人よりすばやく仕事を終えた人は、またさらに新しい仕事を任命されてしまいます。
 中国では上司のこういうやり方は、
「鞭打快牛」
(早いものは逆によく鞭に打たれる、急き立てられること)というのです。日本ではたぶん「がんばれ!」という言葉に置き換えられるのでしょうね。
 こうした中では、「磨洋工」(時間潰しするために、わざわざ仕事のスピードを遅くすること)の現象は、どうしても防ぐことができないのです。
 外から見ると、休まずに仕事をしているように見えますが、実に効率はきわめて低いのです。時には、言い訳を作ってどこかで怠けてしまう人が出てきてしまうのです。
 
 ここ20年以来、日本人の人生観は大きく変わってきました。例えば、昔の日本人の仕事に対する情熱を見ると、確かに彼らのことを「働き蜂」だと言うのは、過言ではありません。
 でも、社会全体が豊かになっていくにつれて、日本人の仕事への関心は、だんだん
生活の質の問題
へと移っていったのです。
 かつて戦後日本経済の大発展を支えた終身雇用制度も、最近になって変わりつつあります。自分の人生を一つの会社だけに結びつける考えはもはや無くなり、ずっと会社に人生を捧げ続けることは、もう歴史とともに流れていってしまったようです。
 むしろ現代の日本人は、
自己実現を求めて転職する人
が増えています。ある調査結果によると、入社後、勤務期間が3年未満の新人社員の辞職率が、明らかに上昇しているということです。
 若い世代は、上の世代より生活の質を重視しており、「働き蜂」はもはや若者の憧れの対象となる精神ではなくなってしまったのでしょう。
 
 20世紀、80年代に入ってから、人々は昇給よりレジャー時間を求めるようになりました。90年代になり、日本経済の低迷に伴い、人々の関心はまた昇給のほうに戻ってきたのですが、ただ、昔と違うのは、
昇給は、能力主義に基づくようになり、
仕事の量とは関係なくなったということです。若い世代は、伝統的な年功序列を打破して、自分の能力に見合う報酬を要求するようになってきたのです。
 ですから、21世紀に入った今日、日本の雇用制度と分配制度には根本的な変化が起こりつつあり、しかもこれらの変化は今後も人々の仕事に対する考え方の変化の中で、徐々に明白になっていくことでしょうね。
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