今から1年前、僕は幸運にも客員研究員として日本のとある有名大学に来ることになりました。 それを機会に、この大学に在学中の多くの中国留学生達と知り合ったのです。 そうして彼らから少しずつ彼らの勉強や仕事などの生活ぶりを知るようになったのです。
この大学に来られて、なおかつ自分の実力を発揮することのできる留学生は、決して平凡な人物ではないと私は言い切れます。彼らの胸には知恵と智勇と抱負が抱かれているのです。そうでなければ彼らがこの大学に来られるわけがないでしょう。 しかし夢と抱負を実現させるならば、まさに「天将降大任于斯人也」(天がその人に大任を任せようとすること。任された人は立派な人だと暗示している)と言われるように、必ず「苦其心志、労其筋骨」(精神を苦しめて体を苦労させると言う意味で、人の意志を強くするたとえ)や、「千磨百劫」(数多くの練磨という意味)を乗り越えてから、やっと成功するものではないですか!
有名大学に進学しようとする人は、まず将来所属したい研究室の教授に自分の能力と学識を認めてもらわなければなりません。自分の能力を証明する方法はいくつかあります。たとえば自分の地位や、かつての研究成果あるいは友達の紹介などです。 それらの方法を一つも持たない人は、その教授の研究生になるほか方法はないのです。1年、2年のあいだ研究生になるということはつまり、学費を納めながら教授のために仕事をするということです。それは長期間にわたる教授による評価と、自己の練磨が入り混じる大変複雑なプロセスなのです。 実験室を持つ教授は、表向きはその学界のリーダーということになりますが、実際には一種の職長に過ぎないのです。製品は実験室の研究テーマと課題です。
人は実験室に入って数ヶ月が経ってようやく研究室のリズムとシステムに馴染んできます。最初は受身であったのが、だんだんと積極的になり、仕事のために「廃寝忘食」(寝食を忘れて働くこと)のようになってしまうのです。 それにそこに長くいると、時間の節約の技もだんだん身についてくるものです。決められた時間内で課題を終わらせるために、寝る時間までも取られてしまうのは当たり前のことのようになってしまうからです。 先生が実験室を離れないならば、生徒である自分が絶対にそこから一歩たりとも離れられないことは暗黙の了解として認めなければなりません。 先生には地位や知名度があるので、彼の評価は学界で通用するのです。ですから学界で自分の足場を求めるならば、先生に対して従順になるやり方を取るしかないのです。
自分の誠意や苦労が教授に認められるまで、大学院入試試験を受ける資格さえもらえないのです。受験資格をもらっても、また次の入試試験の難関を乗り越えなければなりません。 あなたは入試試験を終え、その「名不正、言不順」(資格もなく居場所もないこと)の浪人生活がやっと終わったと思うでしょうが、でも日本では入試試験のあと正式に大学院に入るまで、半年くらいの時間が空くのです。 少なくともこの半年間なら自由に時間を使うことができるだろうとあなたが思ったのなら、それは大間違いです。指導教官は、非常にタイミングよく自分の新入生にいろいろな「宿題」を出してくれるからです。つまりすこしの緩みも休み許されないのです。
知人のCさんは非常に頭がよく研究熱心な人で、滅多にいない人材です。この大学で2年ほど研究生として苦労してから、やっと指導教官に認められてこの大学院の一員になりました。 でも仕事は時間の流れとともに日々増える一方です。今の指導教官の課題と元指導教官の課題、そして自分の研究課題、一人で三人分の仕事をしているわけです。 Cさんは午前中に今の指導教官の課題をやり、午後に元指導教官の課題をやります。夜になってようやく自分の研究課題をやることができるそうです。週休二日どころか、週一日も休みが取れないのです。 ですから私達はよく冗談でこういうのです。有名大学の留学生には、「紅日子」(祝日)がなくて「黑日子」(平日)ばかりだと。
ポケベルは日本人に発明されたものであり、しかもそれは従業員がボスにコントロールされる道具だということです。ポケベルそのものはただその人にくっついているように見えますが、実はその人は1本の見えない鎖に操縦されていると言ってもいいでしょう。そういう理由で私はポケベルのような現代の通信機器を使わないことにしたのです。そのほうが自由だからです。 この有名大学では、指導教官が留学生をコントロールするのに使う道具も一流なものばかりです。たとえばCさんの場合は、指導教官は彼女のために携帯を買ってあげました。でももうすでに条件がついているのです。
その1) 24時間携帯の電源を入れること。 その2) 携帯番号を他人に教えてはいけない。 その3) 費用のことは指導教官に任せること。
だそうです。それまで携帯を一度も使ったことのない彼女は、急にタダで携帯を貰ったものだから大喜び、その日の晩に嬉しさを抑えきれずに自分の彼氏に電話番号を教えてしまったらしいです。が、それは約束を破ったとはいえないと、私は思います。だって恋人同士は先生より親しい間柄なのですから! しかしとある深夜の2時、まだ研究室で指導教官と一緒に研究をしていた真っ最中に、彼女の一番心配していたことが起こってしまいました。その携帯のベルが鳴り始めたのです…。
この大学は学制がほかの大学とほぼ同じで、学位取得についての具体的な規則も明文化されていますが、順調に学位をもらえるかどうかということになると、やはり学生自身の努力と先生の助けが必要になってくるのです。 生徒としてそこにいるあなたは、いうまでもなく一生懸命に研究に没頭しなければなりません。なるべく論文をたくさん発表し、自分の「点数」をワンポイント・ワンポイント貯めていかなければなりません。 しかしそれにより得た「碩果累累」(すばらしい成果を得ること)は実に、研究ばかりしていて、ようやく得た自分の成果を、気づかないうちに一つ残らず他人に取られてしまうような心境なのです。
ですから、そこで自ら指導教官に推薦を求めることも非常に重要になってくるのです。大学院の先生はたいてい見聞豊かで知識も広いので、自分の生徒の「脱頴而出」(頭角を現すこと)を見通したら、その生徒を推薦することは「順水人情」(お安い御用)なのです。 しかも生徒が奮闘することは、先生が成果を収穫することでもあります。その生徒を推薦するまでに、先生はもう十分に自分の成果を獲得したといえるでしょうね。 このようなケースはまだいい例です。それはタイミングや生徒自分の運にかかわるもので、誰でももらえるわけではありません。 大多数の留学生は、自分の運命はやはり指導教官の手に握られており、院生は卒業する時点でもうすでに「熟練工」のようになっているのです。働き者の卒業生は、自分が適した場所に進めるかどうかを、すべて先生の一瞬の決定にかけているのです。
理屈をいえば、どんなことでも「種瓜得瓜、種豆得豆」(因果応報)であるはずです。留学生達が、自分のありったけの精力と時間を研究につぎ込んだその結果はどうでしょう?成果を得たと言うことができると私は思います。ただし、その成果は自分の先生にも享受されてしまうのです。でも逆に考えると、少なくとも留学生達は一定の能力を身につけたと言うことが出来るでしょう。
交流会や発表会の役割は、一方で学術情報を交換する場となるのですが、もう一方では成果を「窃盗」する場になりうることがあります。 Bさんは某研究室で数年間心血を注いで、やっと新しい遺伝子を発見しました。しかしそのことを聞いた彼女の先生は、彼女にその遺伝子についての実験方法や材料やデータ、結果などを逐一詳しく報告するように言いつけたのです。 その後、何が起こったか分かりませんが、結局彼女たち師弟は仲が完全に悪くなり、Bさんは自分の研究成果をもってアメリカに去っていってしまいました。
日本の制度上、大学院生と指導教官はお互い相手を選ぶことができますが、でも途中でまた最初からやり直すことはそう簡単ではありません。 F君はBさんと同じような境遇に遭い、結局最後は転科してしまう破目に陥ったのです。3年もの経験がある彼にとっても、新しいところに移り、また最初からやり直すことは大変で、やはりそこの教授や同じ研究グループのリーダーの目の下で監視される運命を逃れることはできないのです。 深夜12時に誰かがF君の研究室に「お見舞い」に来るときもあります。F君は三つの札を用意しました。それは「食事中」、「お手洗い中」」、「図書館」です。 時々、彼は密かに急用で外出しなければならないときがあり、私に違う札を出すように頼みに来るのです。私は冗談で彼にこういいます。「あなたは共産党員(すごい働き者!)なんじゃないの?」と。
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