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女性事務員

作者:じゅん菜 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-9 10:51:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

ある日、一枚の募集要項が私の目に止まりました。「女性事務員を一名募集。応募条件はパソコン入力できる方。時 給800円、交通費全額支給。電話連絡の上面接。」と書かれていました。場所は東京の六本木です。その頃私はちょうどまとまった時間ができ、仕事を探していたところだったので、思い切って電話をしてみることにしました。
 「張口三分利、不給也能保本」(可能性がないとは限らないことはやはり聞いてみたほうがよい)と思って電話をしたので、電話に出た人が案外あっさりした人で、短い会話の後すぐに翌日の面接時間を決めてもらったことに、
思いのほか嬉しく思いました

 翌日昼過ぎに、私は日本人女性が普段やっているようなお化粧をし、そして国内から持ってきたスーツに着替えて履歴書を持ち、家を出ました。目的地についたとき、時間は午後2時50分を指していました。予想した時間内に着いたことを少し得意に思いつつ見上げると、そこには7階建てのビルがありました。
  勤め先の会社
 まもなく、私はそのビルの中に面接先の会社を見つけました。その会社の事務室は14平方メートルの小さなワンルームで、その中には2つのテーブルと電話機1つのほか、いろいろな備品がたくさん詰め込まれていて、
とても狭く感じました

 部屋には社長一人しかいませんでした。簡単な面接の後、私の日本語はまあまあ達者だと思われたらしく、社長は最後に、普段の電話のやり取りができるかと私に問い、「大丈夫」という私の答えを聞くと、早速来週から出勤することに決めてもらいました。
  
 その会社の一員になってみると、その事務室は社長とその友達の二人で一緒に借りた部屋だということがだんだん分かってきました。その会社をやめるまで一度もその友達に会うことはありませんでしたが。
 私のほかにもう一人の女性営業員がいて、彼女は私が入ってから一週間後にこの会社を辞めるつもりでした。私を会社の仕事に慣らすために、一週間ほど手伝ってくれるというのです。
 彼女の説明から、この会社は主に
トイレ改造業を行なう会社
だと分かりました。トイレ改造業とは、つまり客の要求に応じて、旧式の和式トイレを洋式トイレに改造する仕事です。また同時に、中小企業の新製品を販売したり、お金の貸付業務もしているということでした。
 
 日本のバブル期に、この会社も繁盛した時があったそうです。社長は何人もの従業員を雇い、たいそう儲かったという話です。その後社長は、他人と一緒に出資して、とあるビルを買いました。そして残ったお金で高利貸しをし、その当時の業績は成功といえるほど好調だったらしいのです。
 しかし、89年から
日本のバブル経済は崩壊しはじめました。まず地方に建設されているアミューズメント施設は資金の調達が難しくなり、またさまざまな新型電子機器を備えている高級車や最新家電製品の需要なども冷え込み、それにつられるように景気はますます悪くなっていきました
。巨額の株券やゴルフ会員証なども一瞬でただの紙クズになってしまったりしたのです。
 93年になると、戦後かつてなかった
地価の暴落
が始まりました。一時的なものだと思われた不景気は長期的なものとなり、地価の急落は不動産の価格の引き下げをもたらしました。
 社長は例のビルに6000万円のお金をつぎ込み、バブル期には地価が1億円に達しながら、その一番良い時期にビルを売ることをしなかったのです。その後地価は7000万円まで落下してしまいました。予測価格はあくまで予測ですから、94年のときには不動産はもう「焼手的山芋」(とてもあつい芋。誰でも嫌がるものの喩え)のようなもので、
誰も容易にそれを受け入れはしないでしょう
。社長はビルの値段を5000万円まで引き下げましたが、結局買主を見つけることはできなかったのです。
  トイレ
 
景気が悪くなると、人の信用度も落ちてしまう
ようです。社長はそれまでの貸付金をなかなか回収できなくなってしまったそうです。社長は蚕のように、自分の吐いてきた糸に縛られてだんだん動けなくなりました。
 副業から出た赤字は、本業のトイレ改造がもし元のように注文も多かったなら、何とか回復することもできたのでしょうが、トイレ改造の仕事も不景気によって「強弩之末」(かつて強さを誇っていたものも衰えて無力になってしまったという喩え)のように注文が激減したのです。
 バブル期には、トイレ改造を求める客が毎日殺到し、一件の工事につき、20万円から30万円程度の売上があり、材料費や備品や労務費などの費用を除くと、純利益はその半分程もあったそうです。
 ですから、当時この会社は人手不足で、電話係やセールスマンや工事する人など、一つの工事を終えるのにも多くの人手が必要になっていたのです。しかし、今は会社に入ってくる
工事は月にせいぜい数件
しかなく、多くの従業員を養う力もすでになくなり、工事する人からセールマンまですべて解雇されてしまったそうです。
 残されたたった一人の秘書兼セールウーマンも今やめようとしています。ちょうどそんな時、私はこの会社に入ったのです。
  
 その女性営業員が辞めた後、会社は社長と私の二人だけでした。
会社の業務状況は日々悪化
し続けていきました。社長本人は毎日外に営業に出かけていましたが、ときどき私に、住居団地に広告を配りに行かせたりすることもありました。
 それでもトイレや浴室を改造する仕事は一つも見つからず、温水洗浄便座を買うお金もないほどでした。仕事はたいていトイレのつまりを直す仕事で、しかも、そういう仕事でも数日に一件という有様で、
とても儲かるどころではありません

  
 それなのに社長は大変な浪費家で、彼の家賃は月30万円だし、奥さんは上海人ですが、もう別れたそうなので、今は家政婦を雇って子供の世話をさせているそうです。さらにある観光地に愛人を囲っているという話ですし、会社の家賃も払わなければならないので、毎月、それらの支出を合わせると100万円以上になってしまうのです。ずっと今のままでいたら
会社の未来などあるはずがないでしょう

  
 ある日、私がお昼を買ってきてちょうどオフィスの前についた時、会社の電話が鳴りはじめました。慌てて入ってみると、社長が中にいて、電話に出るところでした。
 「もしもし、こちらは***会社でございます。どういったご用件でしょうか?はい、はい。今は会社の担当の者がちょうど席をはずしておりますが、ご伝言を承りましょうか。そちらのご住所とお電話番号を教えていただけましたら、またこちらからご連絡いたしますので。宜しくお願いいたします!」という社長の言葉がちょうど私の耳に入りました。
 「えっ、
担当の者がいないってどういうこと?
彼自身が一番上の担当者じゃないの?」彼はわざと見せ掛けでそのような応対をしたのか、それともたまたまその時別の用事があったのか、そう解釈するほかありませんでした。
 
 私の1ヶ月目の給料は出勤時間通りにもらいました。しかし2ヶ月目からは
給料の支払いが遅れ始めました
。給料日から10日もすぎたのに、まだ給料を支払う気配はありません。私は何回も聞いてみたのですが、いつも「もうすぐだ」という返事で、なかなか給料を払おうとはしませんでした。
 仕方なく、私は
労働監督署に相談
に行ったのです。そこの監督官は、私の話を聞くとすぐ社長に、翌日そこに状況を説明しにくるようにという呼び出し通知を発行してくれました。
 社長はその通知を見ると大変怒って、
その場で私を解雇
してしまいました。解雇されなくても私はもうその会社をやめたいと思っていたので、別に驚きもしませんでしたけど。
 翌日、私と彼は一緒に労働監督署に行きました。彼は私のことをすごく怒ってはいましたが、私の給料を滞らせたことは否認しませんでした。しかも、来月にはきちんと支払うと監督官の前で保証したのです。
  
 しかしそんなことがあってからも、彼は給料の支払いを滞らせる一方だったのです。私は彼のオフィスや家を訪ねましたが、なかなか彼を捉まえることができません。事務所の大家さんにも聞きにいったのですが、大家さんは彼がオフィスの家賃を3ヶ月も滞納しているので、月末に彼のオフィスを封鎖しようと思っているということを知りました。
 でも、私は諦めずに彼の家に電話をしつづけました。そしてやっとある日、彼は私の電話に出たのです。彼は「友達と一緒に買ったあのビルを売ったから、明日にはお金が入ってくるので、そうしたらすぐあなたの給料を支払える。」といいました。でも、それも嘘でした。その日から、私は
二度と彼を捉まえることができなくなった
のです。
  
 それからまた3ヶ月が経ったある日、労働監督署の監督官から電話がありました。「調べによりますと、あの
業主はもうすでに逃げてしまった
ので、もしあなたが同意するなら、中小企業失業保険基金からあなたの給料の80%をお支払いすることができます。なお、あの業主の債権はすでに中小企業失業保険基金に移されました。」とその監督官はいいました。
 翌日、私は労働監督署でその監督官に感謝しつつサインをしました。ようやく翌月、私は給料の80%を手に入れることができたのです。
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