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田浦さん

作者:羅布 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-9 10:52:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

 海釣り
 田浦さんは、僕がある工場で知り合った日本人です。彼は日本の社会の中でも、頭が切れるというタイプの人だといえるでしょう。日本でかつて、ある種の海釣りの新記録を作った釣り名人でもあります。黒い顔、深く刻まれた皺、背が高く細い体つきと素早い動き、彼の姿からは一種の賢さがにじみ出ているかのようでした。
 
 田浦さんは僕と違う班で働いていました。しかもかつてその班の班長をやっていました。技術的にかなりの腕がある人でした。でも、少しせっかちで鋭い物言いをします。
 彼は性格的に、一般の日本人に推奨される、表面上「和」を保つという習慣からあまりにかけ離れていたので、しばらくしないうちに班長の座を他人に譲らなければならなくなりました。
 でも、田浦さんはその班長の肩書きをあまり気にしてないようです。彼はこの会社で30年の月日を送ってきたので、給料は工場長のそれとあまり差がありません。
 田浦さんは、海用の釣り具を全部揃えており、しかもみな決して安くはないものばかりであるのに、暇がないという理由だけで釣りに行くことができないと、嘆いていました。
 
 ある時期、僕のいる班の仕事があまりに忙しすぎたので、田浦さんが手伝うようにと派遣されてきました。新しい仕事場にきて、年功が高いにもかかわらず、賢い日本人はやはり謙虚な態度を取るものなのですね。少なくとも、自分が新しい仕事場の業務をすべて把握するまでは。
 実際田浦さんはそういう人でした。彼は、僕の班にきたばかりの時、班のメンバーたちにとても謙虚に優しく接しました。アルバイトにも例外なく同じ態度を取り、よくみんなに話し掛けたり、冗談を言ってくれたりもしたのです。
 
 僕は、日本人のトレーニング方法について、とても不思議に思います。うちの班長は田浦さんに、機械操作を一つだけ覚えさせると、すぐにほかの熟練社員と同じように仕事をさせたのです。
 昼間、彼が自分の担当するラインの仕事を終わらせても、まだ仕事がすべて終わったというわけではありません。というのも、ほかの社員がみんな帰ったあとも、残業で残った人は昼間に出てきた包装不良品を全部やり直さなければならないからです。
 すると残った人は、担当するラインだけではなく、ほかのラインの機械操作も自力でやらなくてはなりません。自動化された機械には、いろいろなコントロールパネルがついています。さらにその上には、たくさんの電子センサーがあるので、どこかに少しでも不調があれば、機械はすぐに止まってしまうのです。
 それでも、自分の担当するラインを除くほかのラインについての操作は、教えてくれる人が誰もいないので、ここの社員はみんな、失敗の積み重ねの中から操作の方法を学んでいかねばならないのです。
 田浦さんの残業の番にくると、機械はよく止まり、仕事は必ず1時間か2時間くらい長引いてしまいました。いつものパターンは、田浦さんが機械を直す、バイトの留学生たちが彼を待つという感じでした。
 
 田浦さんは留学生の範さんと仲良しで、範さんがよく片言の日本語で田浦さんに冗談を言うのですが、それでも田浦さんはちっとも気にしないようです。
 ある日、田浦さんが機械を直しているとき、範さんがコントロールパネルのボタンを何気なく押したことがありました。機械が急に動きだし、機械を直していた田浦さんは危うく指を挟まれる寸前でした。
 「ばかやろう!」と、田浦さんの怒りはマグマのように爆発しました。人が突然何かの被害を受けたようなときは、とっさに罵りの言葉が出たとしても、それは許されることだと思います。範さんと田浦さんもそう思っているのでしょう、ほら、その後二人はまたすぐ仲直りしましたよ。
 
 田浦さんは、食堂で休憩を取っている間でも、留学生に会うとおしゃべりをします。ある日、釣りのことが話題になったので、一人の留学生が、川で釣りをしていたとき、日本漁業協同組合の人が釣り代を徴収に来たことがあったという出来事を話しました。そばでその話を聞いていた田浦さんは、こういいました。
 「君はそいつらに中国語で喋ってやれよ。日本語が通じないと思わせれば、君はお金を払わなくて済むよ。もし俺がどこかに留学に行ったなら、きっと外国人という身分を存分に生かすだろうね。いいことにあったら言葉は通じる。悪いことにあったら言葉は通じなくなるもんだよ。」と。
 みんなはどっと笑いました。

 田浦さんはヘビースモーカーです。1日にPeaseを2箱くらい吸います。しかも彼はお酒も好きです。時々夜11時か12時くらいに仕事が終わるときもあるので、そんなとき、留学生たちはいつも彼に「帰ったら晩ご飯はどうします?」と聞くのです。
 すると彼も胸を張って、「女房はもう風呂と燗した酒を用意して待っていてくれているだろうなあ!」と返すのでした。

 田浦さんはうちの班を1ヶ月ほど手伝ってくれたあと、またもとの班に呼び戻されました。実は、田浦さんはもとの班の班長と気が合わないようで、それでここに派遣されてしまったようです。
 でも田浦さんがいなくなると、もとの班は達人がいなくなってしまって、かなり混乱に陥ったようで、仕方がなく班長はまた彼を呼び戻したということです。

 その後、田浦さんはガンにかかり病院に入院してしまいました。彼は有名なヘビースモーカーですから、きっと肺ガンだろうとみんなは思ったのです。でも実際は肝臓ガンでした。
 そういえば、そもそも彼はお酒にも目が無い人でした。それからというもの、田浦さんの姿を見かけることは二度とありませんでした。
 彼が退職したということを聞いたのは、それからしばらくのことでした。

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