東京にきてもう一年余りすぎましたが、僕はまだ本格的にバイトをしたことがありません。それはお金が好きじゃないというわけでもないし、力を出したくないわけでもありません。ただ、僕は日本で仕事を探す要領をちっとも心得ていないというだけなのです。貧しいなりにも今の自由気ままな生活に満足していました。 ところが1ヶ月前のある夜、僕が台所でご飯の準備をしていたとき、偶然天津からきた寮友のN君に会いました。僕たちは、とろくさい電気コンロの仕事ぶりを待ちながら世間話をし始めました。 何気なく僕は、日本でのバイト経験がないから残念だという話を切り出しましたが、熱心なN君は、自分の中国人友達がたまに日雇いの仕事をくれるから、機会があれば、一緒に行きませんかと誘ってくれました。 まあ、それはそれは、勉強と研究に差し控えなければ是非行ってみたいですなと僕は思いました。 その後しばらくして、ある夜12時すぎに、N君から一本の電話がかかってきました。彼は、翌日東練馬自衛隊基地での仕事があるから、一緒に行かないかと誘ってくれました。 ちょうど翌日は木曜日で僕の休みの日だったので、「いいよ」と仕事を引き受けました。 N君は本当に熱心な人で、僕のための仕事服やスニーカーなど用意してくれました。また自衛隊基地は軍事用地なので、原則として外国人には立ち入らせることができないということで、僕に日本名をつけるようにいいました。 その要求にはちょっと困った僕でしたが、「ただ日本人に呼ばれやすいようにその場限りで作る名前だから。僕の名前は山田だよ。」とN君は付け加えました。 「それじゃ、僕の日本名は小山にします。‘山不在高,有仙則名’(山の名は、高い低いを別にして、そこに仙人がいれば世に知られるものだ)というわけだからね。」と僕は言いました。まぁまぁ人の考えはすべて経験次第ですからね。 続いてN君はある人の名前と電話番号と連絡方法を教えてくれて、最後に遅刻しないように、何回も念を押したのです。遅刻したら連れて入る人がいなくて、大変らしいというのです。 またこの前、王さんという人が少し遅れたので結局中に入れなくて、そこに行くための二時間あまりの時間が無駄になったと、N君はまた付け加えました。 そういう予期せぬ事故を防ぐために、僕はさっそくN君が教えてくれた連絡方法にしたがって三木という人(同じく中国人です。本当は陳といいますが、このバイトのために三木という日本名を作ったそうです)と連絡を取ったのです。三木さんは朝7時38分の東練馬行きの電車に乗るから、僕にも同じ電車に乗って、行き先の出口で待ち合わせるように約束してくれました。 翌朝、目覚し時計は僕を深い夢から起こしました。僕はまず7時8分くらいの電車に乗り、池袋でしばらく待ってから、7時38分の東練馬行きの電車に乗りました。 駅に着いたとき、時計は7時53分を指したところでした。僕は最後の人が出てくるまで、改札口でずっと三木さんを待っていましたが、彼は現れませんでした。 あまり時間がないので、僕は三木さんと連絡を取らないまま、人に尋ねながら、バイト先まで走って辿りついたのです。N君から普段西門から入ると聞いた記憶があったので、僕は西門で三木さんの来るのを待つことにしました。 しかし8時を過ぎても、三木さんはなかなか姿を現しません。そこでとうとう僕一人で自衛隊基地に入ることにしました。基地に入ったとたん、ヘルメットを被っている兵士が僕を呼び止めました。僕が「仕事のためここにきました。」というと、ここで登録するようにいわれました。 僕は受付で名前、住所と、入る時間を逐一書きました。兵士は登録内容をチェックしてから、僕に「工事―00393」と書かれた黄色の腕章をくれました。そうして僕は苦もなく基地に入ることができたのです。 その登録の合間に短いエピソードもありました。登録していたときもう8時05分だったけれど、遅刻していないことを証明するために、僕は登録簿に7時55分と書いておきました。 そばに立っている兵士が何かむにゃむにゃと日本語を喋ったのですが、僕は聞き取れませんでした。僕は自分のボールペンを使って登録を終え、またそのボールペンをポケットにしまったのですが、兵士はそのボールペンを軍のものだと勘違いしたようで、僕にそれを返すように要求したのです。彼はそれが僕のものだと分かると、とても恥ずかしがって「失礼しました!」と何回もお詫びをしてくれました。
基地に入ってみると、中はとても広く、しかもちょうど旗を掲げた兵隊がスローガンを叫びなから走っている風景を目の当たりにしました。それはまるで本物の部隊のように見えたのです。僕は国にいたとき、軍隊を見学に行ったことが一度もなかったので、今回は「見聞が広まったなぁ」と思いました。 しかし僕にはその風景をゆっくり見ている暇がありませんでした。僕の目的は仕事をすることですから、軍隊のことはどうでもいいのです。 3ヶ所尋ねてみたのですが、仕事場の富士電機総設株式会社は見つかりませんでした。仕方なく、公衆電話を利用するしかないと思いました。日本の通信事業はとても発達しているので、町中のいたるところで公衆電話が見られます。 が、ここは軍営のせいか、もしくはここも携帯電話の影響を受けたせいか、なかなか公衆電話の姿を見つけることができませんでした。結局日本語でその辺にいる兵士に尋ねてみてから、彼の案内に従って、やっと電話の場所を見つけ、三木さんと連絡を取りました。 実は、僕が電話した所は仕事場までわずか10数メートルの距離で、もうちょっと我慢すれば、電話代を使わなくて済んだのに! とにかく幸いのことに、仕事はまだ始まっていませんでした。
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