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4人の日本人工場長

作者:応風旃 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-9 11:00:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

おしゃれ好きな工場長

工場で働く人 新任の工場長はいつも斬新な背広姿で現れます。前の工場長はほかの人と同じような普通の仕事服を着て現場に来たものですが、新任工場長の仕事服はまったく違います。彼の服はいつも格好いいのです。
 彼が赴任したときは、ちょうど事故の影響が大きく、注文が最も少なかった時期でした。
 本社は3年間におよぶ赤字を覚悟で長期復興計画を立てたということです。毎日の仕事は午後2時までで終わることになってしまいましたし、アルバイトは土曜日と日曜日しか仕事がなく、平日に僕が工場に行ってもせいぜい掃除の仕事が残っているくらいでした。
 冬になっても(それまで冬は一番忙しい時期でしたが)、仕事は依然として少ないままでした。

 本社は負債を返済するため、東京工場の近くにある「幹部の揺りかご」と呼ばれる単身寮を売却することになり、そこに住んでいる人たちのために送別会を開くことになりました。
 会社は、安上がりでなおかつ食事も美味しい送別会を開くために、料理をアルバイトの留学生に頼んでみたのです。そうして僕を含めた3名の留学生は、他の留学生にも頼んで一緒に「中華料理送別会」の料理作りを一手に引き受けたのです。

 そうして一度美味しい思いを味わった工場は、忘年会のときも、また僕に頼んできました。そして、工場内で「ギョーザ忘年会」を行うことになったのです。留学生たちはもう一度料理の腕を振るいました。
 お酒も入り工場長はだんだん調子に乗ってきました。すると彼は、自分が以前中国を訪問したときの写真をみんなに見せびらかしたのです。「ここは西安、ここは上海、ここは北京……」と。
 しかも彼と同行する人はみんな本社の大物ばかり。なるほど、この工場長はバックのある人物だったのか!

 忘年会が終わるころ、工場長はまだ目が入れられていない達磨像をとり出しました。バスケットボールくらいの大きさです。
 工場長からはじめて、つぎは副工場長、製造課長、班長という順に、それぞれ達磨の上に「必勝」などといった願い事を書き入れました。
 みんなが書き終わると、工場長は達磨に目を一つかき加えたのです。そしてアルバイトの代表もその上に一言書き加えて儀式は完了しました。
 その後、工場のオフィスに神棚が置かれ、その上にこの達磨が置かれました。年末までにもし目標の利益を達成したら、達磨はもう一つ目を入れられるそうです。
 でもその時の達磨を見て、なんだか変な感じがしました。香港警察署の中に供えてある関羽様の像のようだと思ったものです。

 工場長はとても優しい人です。アルバイトの留学生にあえば、必ず微笑んで挨拶をしてくれます。
 彼の在任中、最も印象深いのは飲み会が多かったことです。たぶん常に従業員の元気を生み出そうとしていたのでしょうね。
 一年余りが過ぎたころ、注文は少しずつ増えてきました。そしてそんなとき、工場長はまた代わってしまったのです。

 
 古だぬきの工場長

 以前、K工場長がこの工場を離れたときは、彼はまだ製造課長でした。いま彼の部下である次長と課長はみんなそれぞれ昔ここの副課長と班長をやっていた人たちです。また今の副課長が初めてこの工場に来たときはまだ普通の社員でした。
 K工場長のお兄さんはここの工務班の副班長をやっています。二人は体型までそっくりなほどよく似ています。また声も似ています。ただお兄さんのほうは性格が少し荒っぽいようです。
 K工場長は
とても優しそうに見えます
。彼は誰にでも会うと、よく冗談をいうのです。それどころか、あるアルバイトに会ったとき、「きみ、まだ生きているの?」という冗談を言ってしまうこともありました。

 K工場長がきてからというもの、工場内に少しずつ変化が起こりつつあります。
 まずバカな班長はリストラされてしまいました。売れ行きの悪い製品は削られ、仕事を怠けてきた社員も
何人かリストラされました

 生産ラインの利用率の不均等はだんだん改善され、いまはすべての生産ラインがほとんど同時に生産を行い、同時に生産を完了するようになってきました。
 短時間で多くの人手が必要になるのですが、でもすべて同時に仕事が終わるので、
残業はだいぶ減りました
。受注量は以前より増えつつありますが、毎日の生産時間は逆に短縮されました。工場の利益は伸びはじめました。

 K工場長が就任してからこの方、2年余りのあいだに開かれた飲み会は、
たった一回きりです

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