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小便するな

作者:贯通日本… 文章来源:贯通论坛 点击数 更新时间:2004-7-11 6:27:00 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


警告の張り紙  左の写真は、手当たり次第にその辺を歩き、撮影したものです。日本ではこのような風景がどこにでもあります。
  台湾作家の呉濁流氏の≪濁流三部曲≫を読んだことのある人には、呉濁流が「楼から天の川が九重の天に落ちる如き」から「礼があって世間体がなし」という精彩な結論を結んだことは記憶に新しいでしょう。
  その写真に映った物は、とある裏道にある店のご主人が、自分の店のドアに張った警告です。この店は毎日の通勤路の途中にあるのです。その警告を見るたびに、ご主人が店内に流されていたおしっこを見るときの、やるせない表情を想像してしまい、いつも思わず笑い出してしまいます。
  それだけでは心配な店主は、「小便するな」の文字以外に、神社と鳥居の図を添え、神に怒りに触れぬよう用心せよと酔いどれたちに注意することもあり、しかも、後者のほうは効果があるそうです。

  日本人の知り合いに、立小便のことについての意見を聞いたことがあります。答えはまちまちでした。とても失礼なことだという人もいれば、小便を控えることは体によくないという人もいます。それに、公共トイレを見つけることは大変で、小便を我慢しながらあちこちトイレを探しまくるより、どこかの隅で解禁したほうが利口だという人もいました。
  一般的に、日本では立小便は男性の特権だと思われています。特に夜、居酒屋でビールや日本酒などのアルコールでお腹が膨れたサラリーマンたちは、排尿機能が非常に活発になり、平均して20分に1回、用を済まさなければならなくなるそうです。ゆえに居酒屋から駅までの道端や建物の隅っこなどが、水害の中心地となってしまうのです。


店の入り口   日本では、公共機関と大型の私営商業会社がトイレのサービスを提供しているのですが、個人商店や普通のビルのトイレは、私有もしくは専用のものが一般的です。私有を推奨する社会であることは、「軒でさえ、他人のために1センチたりとも伸ばそうとしない」ので、雨宿りをするときなど特にそれとわかります。
  私には新宿1丁目と2丁目の間でトイレを探した経験があります。最初は、トイレを探すことはそんなに難しくないだろうと高をくくっていましたが、暫く探したら、どのビルにも公共トイレがありませんでした。仕方なく300メートほど離れている駅まで行きました。ところが、駅のトイレに行くためには、改札口を通らなければならないということに気がついたのです。まいったなと思って、また、駅の商店街に戻って探しに行きました。
  やっとそこで、いくつかの店の共用トイレを発見したのですが、トイレのドアには、「某店の店員と来客でない方のご使用はご遠慮ください」と書いてありました。でも、それはまだいいほうです。「本店の来客と職員でない者が使用したら、罰金1万円を頂きます」というもっとひどい言葉を使っているところもあるのですから。むごい!

   ある日、私はある食事処に昼ご飯を食べに行きました。店のお兄さんが「いらっしゃいませ」と、とても爽やかに迎えてくれました。「あのう、トイレはどこですか?」と、私は聞くと、「えっ!あそこ」と、急に不機嫌そうになったお兄さんが、「です、ます」までもきっぱり省いて返事をしてくれました。
  またある日、国会図書館付近の道路沿いを歩いていたとき、赤信号のところで、大型トラックの運転手が車から降りて、そのまま道路沿いの植え込みに一発やらかしたのです。その様子は非常に無造作で、そこを通る通行人も(およそ20人はいましたが)、みな何も見なかったように彼と擦れ違って行きました。
  「あら、いまは昼なのか夜なのか、自分は一体どこにいるのだろう?」と、当惑しきった私がそこにいたのは言うまでもありません。

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