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留学に悔いなし!

作者:超群  来源:贯通论坛   更新:2004-7-8 15:42:00  点击:  切换到繁體中文

  武蔵大学
 
東京都練馬区にある武蔵大学は歴史も浅く、大学の多い東京においてはそれほど有名ではないようです。しかし私はその少数エリート教育の理念が気に入り、この学校を選ぶことにしました。

  私は中国国内の有名工科大学を卒業後、故郷の天津市に残り、就職、恋愛、結婚と、万事順調に生活していました。しかしその後、起業ブームにかぶれたのか、それとも日本に嫁いだ姉への恋しさなのか、自分の怖いものなしの性格のせいなのか、あるいは裕福で静かな生活に飽きたのか、自分でも良くわからない力に導かれるままに海外留学の潮流に乗ったのです。
  もともとは海外留学の生活をロマンチックに思い描いたりもしていましたが、実際に体験してみると、特に自助努力の辛酸を舐めてからというもの、初めて「頑張る」ということの本当の意味を知りました。
 
  中国国内の大学を卒業してからもう何年も経ちますが、日本にきたら又ゼロから始めなければなりません。最初に日本語を勉強するために日本語学校に通い、初めてもらったビザは就学ビザでした。
  日本の大学院に入るための必要条件は「外国で16年正規教育を受けたこと」であり、半年足りなくても許可されません。
  しかも多くの大学院は英語の試験があります。もちろん日本人学生も同様ですが、それでもアジアの学生にとってかなり不公平だと思います。
  なぜなら日本人にとって外国語は英語のみですが、中国の留学生にとって、外国語が二つとなってしまうからです。
  日本での大学院の英語試験の方法は、ほとんどが英語を日本語に訳すもので、我々にとっては英語も日本語も外国語であり、二つの外国語の対訳となってしまい、時時英語の意味はわかるのに、どうしても適当な日本語が出てこないことがあるのです。
  中国の駄洒落でいうところの「老牛掉到枯井里――有力没処使」(牛が井戸に落ちた――いくら力があっても狭くて使うところがない)ということになります。私は他の留学生と同じように日本語の勉強をしながら、英語の勉強もしなければなりませんでした。
 
  私はアルバイトの時間を確保するため、半日授業のコースを選びました。日本に来る前に、自分の力で学業を修了することを主人と約束しましたが、実際には私も「彼の発展途上国の所得では、私の日本での出費をまかなうことは無理だ」ということは最初から分かっていたのです。
  日本に来たばかりのころ、姉もいろいろ援助をしてくれました。しかし主人に内緒で姉からの援助を受けたくないと思い、数ヵ月後姉からの援助を一切断るようにしました。
  日本の世論では、国際結婚した中国人の嫁への評価はあまりよくありません。その原因は、中国人のお嫁さんの家族まで面倒を見るのことは、血縁関係をそれほど重視しない日本人にとって、苦痛だと思われているせいです。
  私のせいで姉の評判を下げるのはいやだし、他人に頼って生活することは私の性格には合わないのです。私は六本木のあるレストランでアルバイトをすることにしました。
  最も辛く、給料も高くはない仕事ですが、今までやり続けました。その支配人は日本人ですが、中国人のアルバイトには感心しているようですし、何より信頼してくれているので、幼い頃から「信用を守り、人情を重視する」教育を受けた私にとって、給料は全てではなく、人に信用されるということが一番重要だと思ったからです。
  2年後、私は日本語学力試験に合格し(大学院では必要条件ではありませんが、自分の実力を試すために受けました。)1年目の学費も貯まったので、受験の条件は揃いました。
  大学の方でも、経済学部のある先生と連絡を取ることができ、定期的に指導を受け、先生からも実力を認めてもらえるようになりました。
  全てのことが順調に進み、私は自信満々で試験を迎えようとしていました。そんな時、思いもよらないところから打撃を受けたのです。
 
  自分の裏庭から火が出たようなものです。私のいない寂しさに耐えられなかったのでしょうか、私より他の女性が魅力的に見えたのでしょうか、とにかく主人に他の女ができたのです。
  この予期せぬ打撃を受けて、私は途方に暮れるしかありませんでした。最後にはとうとう病気になり、予定していた試験も受けずに帰国することになりました。
  久しぶりに戻った「我が家」でしたが、何のために帰ったか分かりません。冷めた愛情が元に戻るわけでもなし、彼の背信を責める気もおきず、過ぎた懐かしい夢を呼び戻せる希望もなし、この悲しむべき場所で過去のことを反省してもしようがない、自分でもどうしたらいいかさっぱりわかりませんでした。
  そのときの私は、恋がなくなり、家もなくなり、仕事もなくなり、希望も消えた…、かつて恵まれたすべてのものが、いま私から去っていったのです。
  2年間の頑張りのあと残されたものは、銀行口座の百万円だけでした。なんという皮肉でしょう!
 
  当時、中国の国内では「理解」という言葉が流行っていました。親戚や友達の勧めもあり、私も相手の立場にたってやむを得ず一度「理解」させられました。
  でももう過ぎたことを強引に戻すことはできません。そもそも私の夢を実現するために彼一人を残して何年も待たせたこと自体が間違っていたのかもしれません。
  過ぎ去った時間を取り戻せない限り、私は自分の夢を追うチャンスを軽々しく捨てるのは、一番いけないことなのではないかと気づいたのです。
 
  私はまた東京に戻りました。私の人生の記録になるはずのあの日本語学校に戻ってもう一度出直しました。心の感覚が狂っていて、身軽になったのか、さらに重い負担を負わされたのか、はっきり分かりません。昔のバイト先に戻っても、ぼんやりして以前のような感覚が戻りません。
  武蔵大学の受験時期もとうに過ぎ、無断の試験欠席で私の指導教授も怒らせて失望させてしまったそうですが――やむを得ずあまり面識のない韓国学生を取り――次善の選択をさせられたということです。
  日本に戻って初めて指導教授と会ったとき、しばらくの間冷たく扱われたのも当たり前だと私は思いました。それでも本当の事情を知ると、すぐに私の「背信と失礼」を許してくれました。
  熱心な教授はまた受験の指導を行ってくれました。日本語学校の先生たちと友達、バイト先の店長さん、大学の指導教授など優しい人たちに助けられて、わたしは勇気を取り戻し、失敗の苦痛から立ち直りました。
  私は疲れを知らない「働き蜂」のように勉強とバイトに没頭したのです。それから1年後の3月6日、2度目の試験のチャンスがやってきました。私は逃げも隠れもしませんでした。そしてついに、しっかりと勝ち取ったのです!
  もし誰かに感想を聞かれたら、答はただ一つ、「初心の選択に悔いなし!」と。


 

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