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キミらしくない
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左の写真は某私鉄駅に張ってある公共広告です。そこから何が読み取れるでしょうか?またその上に書いてあるセリフは一体どんな意味を示しているのでしょうか? 写真には主にニ組の人が見られます。一組はミニスカートのように短く切られた学校の制服を着ている女子高生です。もう一組は地面に座り込んで携帯をもてあそんでいる男の子です。 「キミらしくない」というセリフは、まるで目の上の人が子供を責めるような口調でいうようなものです。 「キミらしくないな!もともとキミはそんなふうじゃなかったのに!」といっているようですね。 その「キミ」はいったい誰のことでしょうか?地面に座り込んだ男の子でしょうか?もしくはミニの制服を着ている女子高生のことでしょうか?それとも両者を指しているのでしょうか?
勝手に地面に座り込むという行為は、明らかに上の世代の日本人に好まれないものです。その仕種は「だらしない」、「しつけが悪い」、「しっかりしていない」と思われ、しかも電車の乗車口に座り込むと、「他人に迷惑をかけてしまう」のです。 それを見る人も、「気持ち悪い」と思うでしょう。それらはすべて伝統的な日本処世理念からすると忌まわしいものになってしまいます。
そして、画面の中の女子高生はどうでしょう。全身制服を纏っている女子高生は、特に何ら問題はないと思われます。ただ、そのスカートはどうしてそんなに短いのでしょう?やっと下着を隠すくらいのぎりぎりの短さは、ミニスカートにも劣りません。 周りの人は思わず緊張してしまい、特にサラリーマン達はかなり気をつけないと、すぐセクハラと思われてしまいますね。なんという大変な迷惑でしょう!
いったいどこの学校がこんな短いスカートを制服にしたのでしょう。そもそも日本の私立高校は制服制をとっていて、しかもそれによって学校の品位を示しているそうです。 学校の制服はたいてい似たり寄ったりのものです。紺色の上着、濃い色のプリーツスカート。制服は冬用と夏用というふうに分けられています。 身長の伸びの速い人を除いて、大抵の人は高一から卒業するまでずっと同じ服を着なければならないので、多少ぶかぶかしたものを着ているのが普通です。 ここで少し考えてみましょう。十代半ばの女の子たちが、自分の魅力と美しさをアピールすることにワクワクするこの時期に、ちっとも目立たないぶかぶかした制服にそうした欲望を押し込められてしまうなんてこと、あり得ると思いますか?あるはずがないでしょう!
ですから、彼女達の中で大胆な者は、自ら制服のスカートを短めにしてミニスカートに変貌させたというわけ。学校側は当然そういう行為を許さないので、制服のスカートの短さについての規定を学校規則に組み入れました。 しかしそれによって逆に彼女達に反発するインセンティブを与えてしまったようで、つぎつぎ他人の真似してスカートに手を加える生徒が多数派となってしまったのです。 それにその規則の実施は非常に困難なことでしょう。監督役としての先生たちは毎日ものさしを使って逐一女子生徒のスカートの長さを測るわけにもいかないでしょうから。 制服のミニスカート化とそれの禁止運動は、結局「上有政策、下有対策」(上層の決めた規則に対して、下層はすぐそれにうまく対抗する対策を考え出すという意味)という始末になるでしょうね。 つまり逆に先生を困らせる女子高生はあまりいないのではないでしょうか。というのも、登校するとき彼女達のぶら下げている鞄の中には、予備のスカートを入れるスペースがまだまだあるはずです。学校に来るときは長いスカート、学校から出た後は短いスカートになるのです。すなわち校内の「いい子」は校外では「街少女」に変身するわけです。 上の広告の背景にはこのような現象も含まれているのでしょうか。
それではその広告のもっと深い意味は何でしょう。単に「キミらしくない」の文字の意味に沿って理解すると、「キミ」は写真の中の二者以外を指すとは思えません。したがって「キミ」は一部の人の印象における既定した若い男女に対する抽象的なイメージの身代わりなのです。 ある資料によりますと、いまの30代の女性もかつて学校の制服をミニ化した経験があります。また30代の男性は自分の利益が影響されないかぎり、他人に干渉はしないと考えているそうです。ですから、「キミ」は40歳以上の人がもつ20年前の若い男女についてのイメージと考えることができます。 広告の作者はきっと40歳以上の人でしょう。この人が、現代女子高生がスカートを切りたがっていること、現代の若い男性がわざと座り込むような行為を真似したがっていることを無視して、あえて自分の頭の中にある20年前の若い男女のイメージを、現代若者の真の姿であるべきだと考えてしまうのは、現状と不釣合いであるような気がします。
実際には若い世代はすでにこのような風景を見慣れているようですが、それに対して上の世代の人はますます自分の既定した観念にしがみつき、そうした現状を受け入れがたいのです。 「非礼勿視」(非礼は見るべからず)と信じてきた彼らは、電車内で周りにあふれている誘惑に直面して、自分の目線をどこに置くべきか迷ってしまいます。見たくても見たくなくても、ともかく見させられてしまうのですから。結局乗車中ずっと緊張しっぱなしなのです。そこで彼らの心情を表すその奇妙な広告が現れたのでしょうね。
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留学录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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