日本語には年配の人を侮辱する言葉があります。たとえば「おっさん」や「くそじじい」、「くそばばあ」、「おいぼれ」などなど。
言われた人はもちろん腹が立ちます。その理由はわざわざ言うまでもありませんが、年を取ったということは誰にも好まれないことだからです。
日本では十代の少年でも、スーツを着ている二十代の青年に対して「おっさん」といい、自分の年齢上での優勢を示そうとします。
相手を尊重する意味で、年配の人のことを「おじさん」、「おばさん」などと呼んでも相手が喜ぶとは限りません。逆に「お姉さん」あるいは「お兄さん」というふうに呼ぶと、気の利く人だと見られるケースが多いようです。
日本語と違い、中国語には「老けた」という意味の上に、さらに他の何かの理由が付け加わらなければ、そうした言葉にはなりません。
たとえば「老眼昏花」(老眼のために物がかすんでしか見えないということ)、「老糊塗」(年をとってボケ気味の人のこと)、「倚老売老」(年寄りぶって威張る人のこと)、「為老不尊」(年長者なのに慎みがないということ)などがあります。
それらはすべて年を取った人の生理上の退化や行動上での締まりのないことや能力の低下などの欠点を理由としているものです。
「老不死的」(年を取ったのに死に損ないだという意味)という言葉には、別の理由が付け加えられていないじゃないか、と言う人もいるかもしれませんが、実際にその使い方を見ると「老不死的」は年を取った人が長年握ってきた権力を手離さず、若い人の出世を阻むという場合によく使われているのです。
では、こうした日本人と中国人の言葉上での表現の違いは、どのように出来たのかを、それぞれの歴史背景から検討してみましょう。
かつて日本には「姥捨て」という伝説がありました。昔の日本の農村地帯では人口が密集して土地が狭く、また丘陵が多いため作物が思うように取れなかったのでしょう。また飢饉や自然災害が続くと人々の暮らしは貧窮し、労働力があっても使うところはありませんでした。
人がいったん年を取ってしまうと若い人ほど使い物にならないので、次世代の人に充分な食べ物と住む場所を与えるために、自分を犠牲にしなければならなかったというのです。
日本人にとって「年を取る」ことは非常に重苦しいことです。いまでも日本人は自分が年寄りだと認めたくない考えを持っています。年を取った人でも若者に負けないように努力し続けるのです。
その様な社会環境ゆえに、日本人は年を取ったにもかかわらず心理上での若さをよく保っているのです。それは日本が長寿大国になった原因の一つであるといえるでしょう。
昔の中国は、特に北部地方は比較的土地が広く人口も多くありませんでした。人々にとって主な敵は自然と外族の侵入でした。老人の知恵と経験は、自然と人々の暮らしの宝物になっていったのです。
農耕と戦争のため常に人手不足で、人手が足りないことに比べれば、老人を使ったほうがまだましでした。歴代の王朝を見てみると、労働力と兵士を奪い合うことが戦争の元になったくらいです。
それに「敬上愛下」(年上を尊敬し、年下を愛護するという意味)という儒教の教えの影響で、老人はずっと人に尊重される地位に立ってきたのです。そうした文化的背景の下では老人を侮辱するなど以てのほかでした。
しかしその様な伝統文化の重圧により、中国人の心理的年齢が老けていくことが加速されてしまったのです。人は年を取っていくにつれて、呼び方や礼儀上で、また家族、親戚の態度などから、いたるとこるで「あなたはもう老けた。いつも自分の年齢を意識しながら行動しなければならない、いつも年寄りらしく生きていかなくてはならないのだ。」と思い込まされます。自分のことをその様にしか見ることができないのです。そうして心理上の老化が今の生理上の退化を促す結果となったのです。