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進化?それとも退化?
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現代の若者を批判する人の本当の関心事を知るためには、彼らの文章を読むのが一番手っ取り早いでしょう。 「公共の場でプライベートなことを控えるというルールはいったいどこへいったのか。(私:嘘?いつそんな規則ができたの?江戸時代?)逆に、公共の場では何をやってもかまわないと勘違いしているのではないか。 とある調査では、高校生の半数以上がジベタリアンを恥ずかしくないと考えており、そのうち寝っころがりも出るに違いない。 『恥の文化』が崩壊し、代わりに『ジコチュー』が蔓延しているのは、親や教師や上司が適切な小言を言ってこなかったのが原因。小言と言っても感情的な叱りや無条件な意見は効かない、小言を言う側にも見識が必要なのだ。」―― (1999/7/3《中日新聞》中日春秋コーナーより)
また森谷正則さんという人は、先述の『平然と車内で化粧する脳』という本をこのように評価しています。 「神経科学、霊長類学研究の俊秀である澤口氏は、他人の目を気にすることなく、恥も感じずに化粧をするのは、前頭連合野が未熟で、周りを気にする脳の働きが機能していない、一種の脳機能障害と指摘する。 最近の心理学の研究では、日本の子供の脳機能が以前よりも未熟化していることが実証され、(私:ちょっと待った!脳機能の評価基準は何ですか?20、30年前の人の常識というものですか?)状況判断力、自己コントロール能力が低下しており、これは前頭連合野の成熟の遅れを示す。(私:拾人牙恵!自分が言ったことでもないくせに!) この著作は身近で重大な問題を脳科学から易しく(私:……!!!!)論じているものなので、まずはこの問題に関心をもって欲しい。」――(2000/10/1《毎日新聞》今週書架コーナーより)
「人智学のシュタイナーによれば、人間の発達段階を、7年をひとつのサイクルと考えている。0~7歳は将来一人で生きていくことができるための『生命体』を完成させる時期、7~14歳は、自らの体の変化に伴う性の目覚め、羞恥心と自尊心の芽生えなど『自分と他人の違い』を体験する『魂』を完成させるための時期で、14~21歳は『自我』を完成させるための期間としている。これから考えて、(私:問題はここです。まったくの教条です。なぜ昔の人の考えで今の生きていて絶えず変化していく人を規制しなければならないのですか?)パンツ丸見えでホームにへたり込んでいる女の子たちをちょうど1サイクル、7年間発達が遅れていると考えると、小学4年生ぐらいにあたるわけで、下着が見えてもぜんぜん恥ずかしくないというのは当然となってくる。」――(私:…もう言いようがない、司馬昭の心!つまり下心見え見え!)
「どこでもかまわず地べたに座り込むジベタリアンは、不衛生であり、不潔感を与える。法的に制限されていなくとも、不作法という法に抵触するのだが、(私:これでも法律の制限が必要ですか?警察のお仕事のなんと多いことでしょう!)本人達はこれを流行の社会風俗とでも見ているのだろうか。(私:地面に座り込むことは教養のない印ですか?) なんでそんなところに座り込んでいるのかと問えば「別に…」「みんなやっているから」といった答えとともに「疲れたから」という言葉が返ってくるのが気になる。 しかし本当に彼らは筋力が発達しておらず、長く起立することができないのであれば、事は重大で、成人後期の腰痛が早期に出現し、若い時期から日常生活に苦痛と困難が伴うことになるのだ。」――(私:まったくの無駄話!人は若い時はみんな敏感なもの。苦痛と困難が常に付きまとっているのは当然のことでしょう。ましてこの人のこれまでの論説は全てただ一つの仮説に基づいているのは言うまでもありません。)
本文に引用されている文章は注のある部分を除いてすべて、MSNJapan「トピックス2001/2月版」で紹介された文章です。読んでいるうちに私は思わず笑ってしまいました。 一部のオヤジたちが自分の落ち着かない気持ちで悩んだあげく、チャットの舞台に登場してあちこちから集めてきた根拠を使って、彼らの「常識」に違反する元凶――電車内の女の子達を、体力と知力の低下によるものだというふうに責めるのです。 しかしご存知のように、これら優越感を抱く中年の大人たちが育ってきた環境は、90年代の若者の育ってきた環境とはまったく違うのです。 彼らは今の若者を嫉妬しているといってもいいでしょう。彼らは若いときから親と社会の厳しい監視の下で過ごしてきたので、仕事をしていても疲れてやめるわけにはいかず、時間が経つにつれてすっかりその「常識」に慣れてしまって、姿勢まで固定化されてしまったのでしょう。
実は、彼らも自分で誇示するほど清潔ではないのです。私は毎日会社からの帰り道、隅っこで若い女性と抱き合ってキスする30、40代くらいのオヤジをよく見かけるからです。 「正人先正己」(他人を批評する前にまず自己検査をしなければならない)と言われていますから、若者側にも言い分があるでしょう。 若い人はオヤジにじろじろ見つめられることに不満を抱いているらしいです。彼らはこういいました。 「私達は人の邪魔をしているわけでもないのに、電車の中で化粧することのどこが悪いのですか?それに公共の場所でプライベートなことをしてはいけないなんてことは教わったこともない。そんなに車内の化粧が気になるなら、見つめていないで本でも読んでいたらいい。 そしてそんなことを言うのなら、なぜまず公共の場でタバコを吸う人や酔っ払いなどを注意しないのですか?公共道徳とは自分と直接かかわりのないヒトを思いやる心であるはずなのに。」(1999/7/6《中日新聞》中日春秋コーナーより)
もちろん、若者もやりすぎるところがあると思います。たとえば、今の若者は個性ばかり強調するあまり、まったく他人の感覚と気持ちを無視したりするのです。 私は会社のビルでそういうことを経験したことがあります。強烈な香水の匂いを漂わせた若者がエレベーターから降りていくと、しばらく中にその強烈な匂いが残ってしまうのです。その後エレベーターに乗ってくる人は、彼女の傑作に対して思わず鼻をつまんでしまうのです! でも、とにかくこのオヤジと若者との間の論争はまだまだ続くでしょう。両方ともに容易に折れるわけがないでしょうからね!
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