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60年代がはるか遠くに思えた瞬間(60年代是一个可追忆的遥远瞬间)

作者:鱼鱼翻译  来源:デジタルフォトエッセイ   更新:2005-1-25 8:32:00  点击:  切换到繁體中文

 

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1960年代がこんなに遠く感じたことはなかった。「イブラヒムおじさんとコーランの花たち(原題:Monsieur Ibrahim Et Les Fleurs Du Coran)」という映画を観たからだ。原作は、エリック=エマニュエル・シュミットがコーランと実在した祖父の思い出を元に描いたベストセラー「モモの物語」の映画化だという。1960年代、パリの裏町で暮らす13歳のユダヤ人少年モモと、彼のアパルトマンの向かいで小さな食料品店を営むトルコ移民の老人イブラヒムとの友情物語。

六十年代感觉并不是那么遥远。 看了一部叫《易卜拉辛叔叔和古兰经之花》(原题:Monsieur Ibrahim Et Les Fleurs Du Coran)的电影,原作是艾力克(伊曼纽尔・施密特)根据古兰经和他祖父的回忆而写的畅销书《桃子的故事》。讲述了在六十年代,巴黎后街长大的13岁犹太少年桃子和在他公寓对面经营小食品店的土耳其移民老人易卜拉辛的友情故事。

コスチュームを担当したカトリーヌ・ブシャール(catherine bouchard)が、60年代のパリの裏町の娼婦や庶民の華やかなワンピースやスカートスタイルを再現していたのが印象的だ。ユダヤ教とイスラム教という戦争にまで発展している宗教問題、人種問題を手品のようにいとも簡単に解決した映画でもある。深い観察力と洞察力が欠けた現代人への警鐘のような内容だ。白黒をはっきりつけたがり、善玉と悪玉の二つに区別したがる傾向にある現在、実は、グレーな部分が大半の人生。

让我印象深刻的是本剧的服装指导卡特琳娜(catherine bouchard),她把60年代巴黎后街的妓女和平民们华丽的布拉吉和裙子的风格重现于人们眼前。有一些电影把犹太教和伊斯兰教之间,几致辞于演变为战争的宗教问题和人种问题,像变魔术一样简单的就解决了。这部电影中深刻的洞察力就是对现代严重缺乏洞察力的人们敲响警钟。在现在对善恶之分倾向于像黑和白一样鲜明的人们,事实上大半部分都是灰色的人生。

わずか40年たらずで、人間が変化してしまった。見えない恐怖に慄き、見えない未来に困惑し、見えない隣人を疎外している。わずか40年たらずで、人を愛することが下手になった。わずか40年たらずで、幻想や占いや私欲にまみれていた。深い観察力と洞察力を失いかけている現在は、うたかたに似ている。60年代がこんなに遠く感じたことはなかった。失いかけているもの、それは愛するということ。

仅仅只是40年,人们就彻底的变了。害怕未知的恐惧,对未知未来的困惑,对不熟悉邻居的疏远,仅仅只是40年而已,人们对于爱就变得如此的笨拙;仅仅只是40年,幻想和理想就被私欲给沾满。失去了深刻的观察力和洞察力的现代,犹如一个泡沫,虽然觉得60年代并不遥远。与之相比,所失去的就是爱。

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