ある年のことです。本社に属するいくつかの工場が、製品品質の問題でメディアに取り上げられてからというもの、すべての製品がぱったりと売れなくなってしまいました。
ある工場はその事件の煽りを受けて注文がドンと減ってしまったそうです。長年付き合ってきた得意先も、その工場への注文を中止したところが多かったというのです。
仕事が少なくなってしまったので、平日は午後2時を回ったばかりというのに、もうすることがなくなってしまいます。最も忙しく思われる土曜日もせいぜい夜7時までしか仕事をしなくなってしまいました。
そんな売上の伸び悩んだ年、年末が近づくにつれ、新任の副課長の悩みの種になったのは忘年会のことでした。
毎年年末に忘年会を開くのが日本の会社の習慣です。小さい会社だったら、割り勘でどこか一緒に飲みに行くだけですみますが、大きな工場はそうはいきません。
特にその年はいつものように外で忘年会を開くお金がなかったので、少ないお金で盛大な忘年会を開く方法を考えるより他にありません。
ある日のこと、副課長は突然「そうだ!」と何かを思いつきました。彼はこの工場でアルバイトをしている中国人留学生達のことを思い出したのです。実はこの副課長は以前ここの班長をずっとやっていました。彼はアルバイトの留学生達をよく知っていて、彼らがみんな料理上手であることもよく知っていましたから、今回、彼らの料理の腕を借りてユニークな忘年会をしたらどうだろうと思いつき、そうしてやっと彼はひそめていた眉を開いたのです。
「ビールとお酒は問屋で安く買えるから、手作りのギョーザと中華料理と、それにスーパーで売っている焼き魚を加えれば、もう準備万全じゃないか!」副課長は自分のアイデアに感動したことでしょう。
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さっそく副課長は、ふだん自分と仲のいい留学生Gさんを、相談のために事務室に呼びました。
「今年はギョーザ忘年会をすることに決めたよ。従業員は100人くらいで、一人あたりギョーザ5個でいいよ。それに来賓も来るから、ギョーザは600個くらい必要で、それに少し中華料理も欲しいね。お手伝いは何人要る?」
Gさんはしばらく考えた末、こう答えました。「あと二人でいいと思う。ただ、材料を買うのはちょっと時間がかかりそうだから、少し早めに準備しないとね。」
「そんなこと心配しなくてもいいよ。材料を買うときはこっちからお手伝いを出すから!」と副課長は胸を叩きました。
忘年会の会場は工場の食堂に決まりました。ただ食堂とはいっても、みんなが持参のお弁当を食べるだけのところなので、忘年会の当日に調理器具をすべて借りることにしました。
当日、Gさんは朝11時に工場にきて副課長と一緒に買出しに行き、1万5、6千円分の材料を調達しました。昼ご飯の後、Gさんはもう二人の仲間と一緒に料理の準備をはじめました。
Gさんは中華料理の下ごしらえをして、二人の仲間はギョーザの準備をします。副課長は何人かのパートさんも呼び出して手伝ってもらうことにしました。
三人の留学生達は、ふだんアルバイトの前で威張っているパートさんたちが、せわしなく自分達の手伝いをさせられている姿を見て、ちょっぴり得意な気分になりました。
ギョーザの種類は豚肉と白菜の入ったもの、ピーマンとしいたけの入ったもの、にんじんと牛肉の入ったもの、そして海鮮の入ったものの4種類にしました。中華料理は蒸し鶏のバンバンジーソース、マーボー豆腐、酢豚、旬の野菜と海鮮の炒め物に決まりました。
午後4時、料理の下ごしらえはすべて終わり、5時を過ぎるころには、その日の仕事を終えた残り十数人の留学生達も食堂にきてギョーザ作りを手伝ってくれました。
食堂はもうすっかり中華料理とギョーザの美味しそうな匂いで一杯になり、日本人の従業員たちも目の前のご馳走を見るなり目の色を変え、今すぐ平らげんばかりの様子でした。
日本の中華料理店でよく見かけるメニューばかりでしたが、でも本場の中国人の作る中華料理ですから、やっぱりその本物の味を早く口にしてみたいと思ったのでしょうね。
ようやく忘年会のはじまる時間になりました。課長は一人の白髪の老人と連れ立って食堂に入ってきました。老人はわざわざ本社からいらっしゃった理事長だそうです。
理事長のお出ましは、落ち込んでいた日本人従業員たちに少し元気を与えたようでした。そもそも今回の事件はこの工場のせいではなく、事件を起こした工場の連帯責任を負わされたものだったので、理事長の訪問はその事件に煽りを受けた工場の従業員たちを慰める意味もあったようでした。
理事長の到着は留学生達とは何の関係もなかったので、彼らはおしゃべりを楽しみながらずっとギョーザを作り続けていました。理事長のことを気にとめる留学生はいませんでした。
「それでは忘年会をはじめる前に、理事長から祝辞をいただきますから、みんな静かにしてください。」という課長の声が食堂の中で響きわたりました。上座はちょうど調理場のすぐそばにあったので、理事長が話し始める前に課長は特に調理場のアルバイトたちに音を出さないように注意しました。
会場は静かになりました。ただしGさんだけは宴会に間に合うよう、料理作りに奮闘していました。ほとんどの人は祝辞そっちのけで、Gさんの仕事ぶりに見入っていたといったほうがよかったでしょう。とにかく理事長は挨拶をし始めました。すると同時に、マーボー豆腐が中華ナベの中に入ったではありませんか!
「ジャーッ!!」とすごい音がして、唐辛子の辛い匂いが部屋中に立ちこめました。理事長はちょうど「みなさん、こんにちは。」と言ったところでしたが、激辛の煙にむせてゴホゴホと咳き込んでしまいました。従業員達はどっと笑い出しました。
課長が大慌てで窓を開け、ようやく煙が少なくなってから、理事長はまた自分の講演を続けようとしました。が、そのとたん「ジュワーッ!!」と一発…――今度は野菜が入ったようです。
ナベから炎が高く燃え上がり、そのすごい光景がみんなの目を釘付けにしてしまいました。理事長はあきらめたように、ごくごく簡単な短い祝辞ですませ、食事の開始を許しました。
料理の数が少なかったからか、それとも料理が美味しくてよく売れたからか分かりませんが、留学生たちがギョーザ作りを終えて席についたときには、山盛りに料理が乗っているはずのお皿は、もう全て空っぽになっていたではありませんか!
Gさんが留学生達のためにとっておいた一皿のマーボー豆腐を除いて、留学生たちは味見すらできませんでした。Gさんは、いつかみんなのためにご馳走を作ってあげるからといって、やっと仲間達の気持ちをなだめたということです。