長年日本に住んでいるうち、だんだんとある真実が見えてきました。それは管理学者たちが、いかにももっともらしく強調してきた「企業に対する忠誠心」は、実際はお金で買い取ったものだということです。
業績のいい時には、会社は必死に自社にとって有用な人材を引き止めようとします。つまり優遇条件を出して、社員にある安心感と優越感を与えるのです。
それゆえ社員は、会社の利益と自分の将来を一緒にするような考えを常に持つようになり、仕事が多少大変でも、一所懸命に仕事をするのです。
しかし会社が社員の給料を下げたり、リストラしようとすると、社員の忠誠心は大きな打撃を受けてしまうに違いありません。
「大難当頭各自飛」(災難が襲いかかってきたら、各自逃げ道を探すこと)、こういうときの企業は少数の経営者の利益しか代表しなくなり、一般社員には「ごめんなさい!」ということになってしまうのです。
サラリーマンたちは、今ようやく目覚めたというものの、もう時すでに遅し……、ということなのでしょうね。
彼らのほとんどは、ずっと籠の中に養われていた鳥のように、籠から出てしまうと、自立できないものです。会社の規模が大きければ大きいほど、社員の勤務年数が長ければ長いほど、その社員の会社への依存度は高くなります。
ですから、そういう人たちのことを、日本では「社畜」と名付けられました。
企業側が経営難を乗り越えるため、社員の給料を下げたり、リストラしたりする時、終身雇用や年功序列など、いわゆる温情たっぷりの日本式経営は、逆にある障害になってしまいます。というのも、日本企業の中には社員の能力を評価するための明確な基準がないのですから。
いざ経営が悪化した時に、それを乗り越えるため、高い給料層の社員から手を打たれるのは一般的だそうです。すると、新卒の社員を除いて、そこそこ高い給料を貰っている社員は、みんな不安になるでしょうね。
残念なことに管理学者は、会社の活性化を資本主義だからといったところに理由付けしたのに、リストラが企業の間で盛んになった時、またそれは企業が生き残るために必要な手段だと、相槌を打つような言い方に変えてしまいました。
戦後、日本経済は重大な危機に直面したことがなかったので、終身雇用と年功序列のような日本式経営は、90年代半ばまで続いてきました。
しかし、その後日本企業が大量のリストラをし始めたとき、それまでの「日本式経営は冷酷な米国式経営とは違う」という自慢気な声はさっぱり聞かれなくなりました。
ところで、日本企業の中には、雇用側と被雇用側との間で一種、見えないバランスのようなものが維持されているようです。
たとえば、会社のバイト料を下げることを例にとってみると、もし会社側が強制的にバイト料を下げたとしても、仕事をやめてしまうバイトの数が少なかった場合、会社側はまだ下げる余地があるという結論を出すかもしれません。そこからまた今後、引き続きバイト料の基準を下げる可能性が生じてくるのです。
でも、もしそれによってやめたバイトの数が急に増えた場合、企業側はその給料では人を集める条件に達していないと判断して、さらにバイト料を下げることはある程度控えることでしょう。
一方、雇用側はある程度の労働力を確保するために、仕事の頻度を下げるなど、ほかの面で人道的な条件を提示するのです。それによって被雇用側は少し、気持ちの余裕を持つことができるようです。
また偶発事件によって会社の雇用政策が影響されてしまうこともあります。たとえば、某日本会社が近くの大学にバイト募集の広告を貼り出した時のことです。
まもなく、二人の日本人学生が面接にやってきました。面接後、二人の学生はさっそく仕事を開始しました。ここまではすべてが順調でした。
しかしその初日、ちょうど夜の人手が足りなかったので、二人の学生は翌朝の5時まで仕事をさせられてしまったのです。
普段だったら、そんな不都合なことは滅多に起こらないのですが、生憎ちょうどこの二人の新人バイトさんがそれに出くわしてしまったのです。
二人は初日なので、何も言わずにずっと最後まで頑張りました。しかし、その後二人が会社に来ることは二度とありませんでした。
やがて、同じ会社は新たに日本人学生を4人採用しました。4人とも家族から仕送りをもらっているので、バイトは単なるお小遣い稼ぎだったのです。
彼らは、学校が休みの期間は本気で仕事をしていたのですが、新学期が始まると、4人とも週一回しか出勤しなくなってしまいました。
しかも、4人が出勤するのはいつも一緒。なので、毎日の出勤人数のバランスを取ることが出来なくなってしまいました。結局そういうことは長続きしないものです。
やがて、会社は彼らを一緒にクビしたうえ、「日本人学生はウチの仕事に合わない!」という結論を導き出したようです。