日本には、私たちには計り知れない風習があるものです。
私が以前働いていた工場では、そこの仕事をやめる人は、お菓子を一箱買ってきて同僚達に配るという暗黙の風習がありました。
ただ一言「やめることになりました。お世話になりました。」と言えばいいと思うのですが、なぜ菓子折りを一箱届けなければならないのでしょう?私はそれが不思議に思えてなりませんでした。
しかし長くその工場で働いてみると、だんだんその理由が分かるようになったのです。
私の働いていた工場は、女性ばかりの仕事場でしたが、上司はみな、部長、課長そして班長までもが男性ばかりでした。
彼らは気分のいいときは、たまに電気回路盤の不良が検品係に見逃されても、たいてい許してくれるのですが、気分の悪いときは、そのミスを調べもせず気に入らない人のせいにしてしまうこともあるのです。
その後、事実がわかっても謝ることはありません。日本の文化は恥の文化だとよく言われますが、こういうときほど痛感できるときはありません。
工場が従業員を首にすることはまずありません。多くのパートさんは、長年そこで働いても、目が老眼になってしまうと、結局工場をやめさせられる破目に陥ってしまうのです。
ここの日本人パートは、もし上司に理由も無く二度怒られたら、自分がこの工場に嫌われはじめたとわかり、自ら仕事をやめざるを得ないのです。まさしく日本語でいうところの「肩叩き」ですね。
それでも、表面的な和を保つために、やめる人はお菓子を一箱買ってきて、同僚達に配りながらお別れの挨拶をするのが普通です。
ですから休憩時間のとき、もしお菓子を配りに来る人がいれば、それはその人がもう仕事をやめたということを暗示しているのです。
私は、最初そのお菓子には、上司に配る分だけ毒でも盛ってあるんじゃないか!?と思ったものです。もちろんそんなことはありませんでしたけどね。
その菓子折りには「お世話になりました。」という意味のほかに、「次は誰でしょう?」という問い掛けの意味が込められているかのようで、喉の通りも今ひとつだったのは言うまでもありません。
ある時期、注文がどっと少なくなった時がありました。それは東南アジアに新しい工場ができたので、それまでのこの工場の主力製品は、今後すべて海外の工場に任されるようになったからだそうです。
それをきっかけに仕事場の監視が厳しくなり、その上、普段よく私のことを世話してくれた山科さんという人もやめることになってしまいました。
工場の雰囲気は悪くなる一方で、私もだんだんストレスが溜まり、とりあえず数日の休みを取ってみました。でもどうしてもまたその仕事場に戻る気になれなくて、とうとう私もその暗黙の風習にしたがって、お菓子を一箱工場に届けに行くことにしたのです。もちろん「お世話になりました!」という気持ちを込めて…。