日本へ留学にきた多くの学生と同じく、私は中国国内の大学統一試験の「失敗者」でした。でも他の落第者と違ったのは、私がこの失敗をあまり気にしなかったことです。
日本に来て私は勉強期間の最も長い2年間、毎日8コマの授業のコースを選びました。その学校は半日コースの学校より学費も倍ぐらい高いし、バイト時間も夜か土日に限られました。
でもここは学生にとって良心的な学校だと言わなければなりません。なぜなら普通の日本語学校は半年に一度の就学ビザしか申請できませんが、ここでは一年の留学ビザを申請することが出来るし、日本語の授業のほかに、数学、物理、化学、英語、世界歴史など、日本の大学試験に必要な科目の授業もあるからです。まさにこれは私向きの学校ではないかと思いました。
日本の大学を受験したい私費や公費留学生は、まず12月の始めに日本国際教育学会が主催する「日本語能力一級試験」と「留学生学力統一試験」を受けなければなりません。
この二つの試験はともに500点満点で、試験成績は留学生個人の希望する大学に直接届きます。これは留学生たちの最初に遭遇する一番重要な難関だといっていいものです。
一部の私立大学はこの二つの試験の成績(それほど厳しくない大学では一級試験の得点が合格ラインの270点を越えなくても受かりますが、この試験を受けることは必要条件です)だけで留学生を選考しますが、国公立大学や有名私立大学を受験する留学生は、この二つの試験の成績がともに300点以上にならなければ、出願資格さえ与えられないのです。
だから一流大学志向の私のような「野心家」にとっては、これはまず克服すべき二大難関なのです。
外国語の勉強にコツはなく、記憶とトレーニングが一番重要だと言われますが、熟練するまで膨大な時間と精力が掛かり、勤勉だけが頼みの綱となります。つまり「熟練から巧みが生まれる」ということです。
どの程度まで熟練すればいいかというと、考えずに話すことは難しくとも、考えながら流暢に話すぐらいは必要というレベルです。
しかしそれまで大学の学部受験を目的としてきた留学生は、外国語勉強に関しては全くの素人で、1年半から2年という短期間に、今まで全く使ったことのない外国語でもって試験にパスするほど熟練しなければならない訳で、勉強時間が十分すぎるということはないのです。
代わりに文法と受験方法の研究で、単語とトレーニングの不足を補わなければなりません。しかも失敗は許されません。というのも失敗したらビザが取れなくなり、帰国するしかないからです。
日本語学校の2年間、若い我々の肩にはそうしたプレッシャーが重くのし掛かり、私は学校の授業以外にも友達から昔の試験問題を集めて練習することにしました。
勉強に励む以外にも、高い目標に挑戦し、運命を決めるその一瞬に自分の能力を最大限に発揮する勇気が必要です。
その年の私の目標は、私大トップクラスの早稲田大学でした。10月、大学に願書を出してから、私はすべてのアルバイトを中止し、日本語一級試験と学力試験の準備に集中し始めました。
20代になってから日本語を勉強し始めたせいか、日本語が難しいせいか分かりませんが、「日本語一級試験」で取った点数は予想より低いものでした。
その試験の経験は今でも忘れがたいものです。試験問題は5つの部分に分かれていて、最初の部分は「単語」で、読み方から漢字を選ぶ問題と漢字から読み方を選ぶ問題でした。
もともと漢字は我々の強みのはずですが、日本語の当用漢字と中国の元の漢字は微妙な差があるので、まだそこまで気の回らなかった私は、20問中半分しか取れませんでした。
第二の部分は「言葉」で、文章中の言葉から25語の正解を見つけ出す問題で、言葉の理解に関しては問題ないけれど、日本語で答えるのが一苦労でした。
第三の部分は「ヒヤリング」で、日本で日本語勉強をした私にとって、それほど難しいものではありませんでした。中でも画像に合わせて回答する問題は簡単な部類に入ると思うのですが、中国国内で日本語を勉強した留学生にとっては、始めて見る問題のタイプなので、かえって難しく感じたそうです。
第四の部分は「読解」ですが、主に接続詞と接続助詞の使い方でした。1000字程度の文章を読んで2タイプの選択問題に答えるというものでした。文章の量が多いので、答を出すのはかなり骨の折れる作業でした。
最後は「文法」の問題で、格助詞の使い方がメインでした。単一選択と複数選択の2種類の問題があり、他の人は難しいと言っていたのですが、文法を重視していた私にとってはそれほど問題になりませんでした。
神よ感謝します!なんと私は500点満点で300点を取ったのです!中国では「及格」といいますが、日本語では「合格」したといいます。270点が合格ラインですから、これを越えたので有名大学に出願する資格が手に入ったことになるのです!
その一週間後に行なわれた「留学生学力試験」は、従来中国留学生の得意としてきたものです。韓国、モンゴル及び東南アジアの留学生に比べ、中国留学生の平均点は比較的高いのです。
これは中国の9年間に及ぶ厳しい義務教育制度に感謝しなくてはなりません。堅苦しい勉強から得られた知識は実用の面では少し不向きで、かつ創造力の発揮にも不利かもしれませんが、試験には確かに有効です。
この試験は文系と理系に分かれ、文系の試験科目は英語、歴史、数学で、理系はそれに加え物理、化学の試験も受ける必要があります。
わたしの希望した経済学部は文系に属し、試験科目は二つ減りましたが、問題の広さと難しさは理系の比ではありません。
我々の得意とするというのは、難しくないと言う意味ではありません。すごく難しいと思った問題はなかったけれど、初めて(もちろん二度目のチャンスは巡ってきません)の外国での試験ですから、その試験と勉強の感じは自国のものとはかなり違っており、いくら受験勉強をしたといっても、やはり十分とはいえません。
その試験を受けた感覚は、自国で受験して失敗した大学受験とは全然違います。日本での試験ですから、もちろん日本語で答えなければならないし、日本語の実力の高い韓国人学生に比べて、自分の実力を表現する能力は遥かに劣っています。
この試験を受けた中国人の留学生はほとんど「口の不自由な息子が、心では思っても、母を呼ぶことができない」という感想を述べました。
とくに英語の試験のとき、その表現能力の足りなさを最も強く感じました。最初日本にきたとき、私の英会話能力は本当に頼りになり、日本語学校の先生にうらやましがられるほどよく話せたものです。
うそではなく、中国語で答えさせたなら、満点が取れるのに!と思うほどです。しかし生半可な日本語で答えなくてはならないので、いくら頑張っても満足に答えられるはずがありません。
心の中で「これは英語の試験とはいえないよ、純粋な日本語試験じゃないか!」と愚痴をこぼしたものです。
結果、私は学力の試験でも何とかぎりぎり300点を取りました。人間の感覚は面白いものです。高得点で合格するときは、当然だと思いがちですが、落ちるかなと思いながら、ぎりぎりの点数で合格したときは、危なかったと胸をなでおろし、「やった!」と叫びたいほどの喜びが沸いてくるのですから。