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語らざるを得ない物語

作者:王保国  来源:贯通论坛   更新:2004-7-9 10:43:00  点击:  切换到繁體中文

 

  大正大学
  僕は中国福建省からきた留学生です。いつの頃からか知りませんが日本で福建出身というと「黑戸口」(戸籍に登録していない人、つまり不法滞在者のこと)や「密航者」のレッテルを貼られてしまいます。
  そのレッテルのおかげで、僕の家族は手を尽くして、ある地位の高い人に僕の「身元保証人」と「経済担保人」になってもらうように頼み、やっとのことで僕を日本に留学させてくれたのです。
  その上、最初に入った日本語学校は特別にいろいろ僕を世話してくれました。ですから贅沢を言うことが出来なくなった僕は、慌ててある私立大学に進学することにしたのです。それは僕がいま在学している大正大学です。
  東大や早大などで勉強している日本語学校の同窓生に会うたび、羨ましいのか後悔なのか、はっきり分からない気持ちが湧き上がりました。
  僕は自分の体験を、「語らざるを得ない物語」としてここで言わせてもらいたいのです…。   

 最初の日本語学校は両部制(半日制)の学校でした。この種の学校に入ることは利点が二つあります。一つには、学費が全日制の学校より安く済むということです。一学期ごとに20万円ほどです。もう一つには、アルバイトする余裕が多少あるので「自助就学」(自分だけの力で学業を続けるためのお金を払うという意味)ができます。
  もちろん何事にも利点があれば欠点もあります。というのも、その様な学校は一概に教育の質が低いのです。成績は授業時間と比例するもので、全日制の学校の学生より、両部制の学校の学生は日本語の成績が良くありません。
  また日本の入国管理局は両部制の学校に対する管理を比較的厳しくしています。両部制の学校は不法滞在者を育む土壌だと思われているからです。それゆえに学校は学生を厳しく監督するようになり、しかも時々行き過ぎることすらあるのです。   

 東京のような大都会の就学生にとって、学校の寮に入ることはとても喜ばしいことです。それは寮費が安く学校にも近いので、安心感があるからです。身元保証人のお陰でしょうか、とにかく僕は寮に入ることができたのです。
  勉強とバイトについては、ほかの就学生とあまり変わりがありませんでした。でも福建省出身の学生が日本のお店にバイトとして入ることはとても難しいことです。入国管理局が発行した「資格外活動許可書」を持っていたとしても、この供給が需要を上回る労働市場の中では、募集側が絶対の選択権を持っているのです。
  応募の電話を掛けても、履歴書を出しても、応募先からの返事はなかなか返ってきません。こちらが苛立ったり落ち着かなかったりしても、それはどうしようもないことなのです。
  やっとのことで僕はある中華料理店での仕事を見つけました。ボスは黒龍江省出身の人です。彼の管理手腕は一流といえるでしょう。店のピーク時間内(午前11時~午後1時半)でしかアルバイトを使わないので、従業員に120%の力を発揮させることが出来るのです。   

 仕事が辛くて疲れることは、予想した通りのことです。会社もお店も、どこも慈善事業ではないのです。企業が従業員の「剰余価値」(支払われる賃金以上の労働価値)を搾取することはよくあることなのです。
  僕そのときの給料は月4万円で、ちょうど家賃を支払うくらいの給料でした。食事も節約に節約を重ね、インスタントラーメンが毎日の主食でした。
  ある日 、1万円しか入っていなかったけれど財布を落としてしまいました。すっかり気落ちした僕は「今度はインスタントラーメンも食べられないな…。」とため息をつきました。
  幸い日本人は「拾金不昧」(お金を拾っても着服しない)人が多いので、その後誰かが僕の財布とその中身をそのまま学校のほうに届けてくれました。そのおかげで僕は断食を免れたのです。
  僕はまた仕事を探し始めました。「天无絶人之路」(天は人を捨てない、必ず何かの手立てがあるという意味)、僕は新しい仕事を見つけました。しかもわりと安定した給料をもらえる仕事です。僕の差し迫った問題はようやく解決されたのです。   

 僕も大変だけど僕よりもっと辛い人がいました。国内から就学に来た同郷の一人は、住むところすら無かったのです。東京にある旅館は「多如牛毛」(非常に多い)だけれど、それは私達のような苦学生などが住むところではないのです。
 その人を知らなかったならいいけれど、いったん知ってしまえば、自分の目の前で彼を「馬路天使」(ホームレス)にさせるわけにも行きません
  僕は彼を自分の部屋に入れることにしました。ある夜、僕達の姿が寮の警備員に見られてしまいました。これは大変なことになった、学校の規則に違反したというだけですぐに退学させられてしまうかもしれません。
  それについて、学校側は僕が普段几帳面で、欠席が一回もないということをで、特別な好意として少しだけ退学までの準備時間をくれました。
  その間、学校から除籍されてはいなかったのですが、入管にはもう僕のことが報告されてしまいました。またいろいろ手を尽くして、やっと僕は別の日本語学校に転校することができたのです。男は涙を流さないで血だけを流すものだとよく言われてきましたが、今回に限っては、僕は自分の涙を抑えることができませんでした。僕の涙には後悔はなく、悲しみと屈辱だけがありました。    

 たくさんのことに振り回され、もともとヘタだった自分の日本語に残された、最後のわずかなニュアンスもどこかへ消え失せてしまいました。その年の期末試験は不合格でした。
  担任の先生に注意された僕は、怒りと後悔が入り混じって、胸がえぐられる思いでした。なぜ僕はいつも失敗ばかりするか?中国、福建、就学生、劣等生…、この弱肉強食の世界に同情は存在しないのです。
  労働者のための歌《国際歌》の歌詞にもそう書かれているではないですか:「古来救世主なんかいない、神も皇帝もすべてを退かせ…、私達は自分しか頼らない-!」と。
 
  日本で生きていくのは、自分の努力次第なのです。その後僕は受験勉強をしたときの勢いで日本語の勉強に没頭しました。まず単語の暗記から始め、少しずつ前進していきました。
  毎日50個の新しい単語を紙に写して枕もとの壁に貼り、翌朝目覚めて最初にすることはその単語の復習でした。ベッドに入る前にも、一日の単語リストをもう一度チェックするのです。
  もちろん通学の途中や電車の中は僕の勉強場所となりました。一日中、日本語で頭がいっぱいでした。「只要功夫深,鉄杵磨成針」(石の上にも三年の意味と同じ)、分からないことがあれば、進んで先生やクラスメートに聞き、数ヵ月後僕の語彙は著しく増えました。簡単な文章、文法から始めたっていいんです!
  僕はようやく口を利くようになりました。しかも暇があるときには日本のテレビ番組を見るようになりました。ヒヤリングや会話力はぐんぐん伸びていきました。すると先生の軽蔑した視線や、クラスメートの意地悪な冗談にさらされることも無くなったのです。   

 二年後、僕は日本国際教育協会が主催する「日本語能力試験」の一級試験と「留学生学力統一試験」に参加しました。僕の日本語成績は学年でトップを取り、学校の人を驚かせたものでした。
  僕は「矮子里的将軍」(自己謙遜の言葉。レベルの低い人たちの中のトップになったという意味。)となったのです。ついに僕は自分の意地を貫いて小さな成果を成し遂げたのです。
  しかしその好成績もすでに手遅れでした。2ヶ月前、僕は大正大学にしか入学願書を出さなかったのです。でも僕はやはり気を緩めることなく入学試験の準備に専念しました。有名大学の試験は難しいといわれますが、普通の大学の試験も容易とは限らないと思ったからです。
  さらに言えば、僕の好成績はけして損ではなかったのです。だってすごく簡単に奨学金をもらえたのですからね!


 

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