吉一鳴は日本のとある会社に勤めています。最近この会社と韓国の某企業との協同プロジェクトにちょっとした問題が起き、その解決のために韓国に担当者を派遣することになりました。
そこで、実際の設計に参加していた吉さんが韓国に派遣されることになりました。新年まで後一週間と迫ったころでしたが、吉さんは韓国への海外出張の途についたのです。
吉さんが韓国に着いたとき、あいにく気温が急に下がった時だったので、外の気温は零下十数度にまで下がってしまっていました。
吉さんは飛行機から降りたとたん、アイス棒のように凍ってしまいそうな気がしました。
すぐどこかのお店に入って熱いものを食べたいと思った吉さんは、一目散にとある店に入りました。
しかし、そこのお姉さんは英語も日本語も通じないらしく、吉さんはイライラしましたが、どうする術もありません。吉さんは韓国の伝統料理の冷麺を思い出し、そして「レーメン!」と言ってみました。すると案外この言葉はお姉さんに通じたようで、彼女は頷きました。
吉さんはさらに「HOT!」と付け加えました。ですがお姉さんは頭を横に振って、ないと言っているみたいです。「仕方がない、冷麺でもいいや。ないよりましさ。」と吉さんは思いました。
ところが思いもよらないことに、出された「レーメン」は熱いインスタントラーメンでした。完璧な「まぐれ当たり」だったようです。
今回の仕事は予想以上に多く、吉さんが全力をかけても一週間ほどかかります。ですから、最初の日から、吉さんはまるでピンと張られた弦のように、朝から晩までずっと会社で仕事をしていたのです。
食べ物と仕事については何とかなりましたが、今度は「住まい」の問題が吉さんを悩ませました。最初の夜、会社からホテルに戻ってくると、部屋の中はかなり冷え込んでいました。暖房のスイッチをあちこち探しても見つかりません。
ホテルの人に言おうとしましたが、言葉が通じなかったらとためらっていた吉さんは、ふいにベッドに置いてある毛布に気づきました。よし、これで何とかなるだろうと思い、吉さんは一日目の夜を布団に毛布を被って過ごしたのです。
翌日の夜、帰ってくると、布団の上にもう一枚毛布が増えていました。「今夜はさらに冷え込むだろう。」と吉さんは思いながら、布団に二枚もの毛布をかけて長い夜を過ごしました。
三日目に部屋に戻ってきた吉さんは、まず毛布がなくなったことに気付きました。でも暖房のスイッチを押してみたら、今回は暖房は素直に動いてくれました。やっと三日目で人並の夜を過ごすことができたのです。
四日目になりましたが、依然として毛布がありません。さらに今度は暖房がまた効かなくなってしまいました。すでにクタクタになっていた吉さんは、ダウンジャケットを着込み、またその上に布団をかけて寝たのですが、正直言ってかなり辛いものでした。
五日目に、これ以上我慢できない吉さんは、ホテルの人を呼んできて、英語と日本語に、さらに手振りを交じえながら、やっと「暖房が壊れた」という意味を相手に伝えました。さっそくホテルの人に暖房のスイッチをチェックしてもらうと、なんと暖房はちゃんと動き出したではありませんか!
「あれ!どうして?」と思われるかもしれませんが、ここの暖房のスイッチは2ヶ所あったのです。すなわち、枕元にあるスイッチをつけてから、さらに吉さんからよく見えているスイッチをつけて、初めて暖房が動くのです。今まで吉さんは枕元のスイッチの役割を知らなかったので、苦労する結果となってしまったのです。
三日目の夜は、清掃員がその肝心のスイッチを切り忘れたおかげで、吉さんは心地よい一晩を享受することができたのです。ところが、ようやく暖房問題を解決したと思ったら、もう出張の最終日になってしまいました。
吉さんはお酒が大好きな人です。協力会社がきっと一回くらいは招待してくれるだろうと思いながら、吉さんは一週間ほどお酒をずっと我慢してきました。しかし、協力会社どころか、一緒に働いた韓国人同僚でさえ誘う気は全くないようでした。
帰国する前日、我慢できなくなった吉さんは、その韓国人同僚を飲みに行こうと誘ってみました。韓国人同僚は、吉さんをある小さな居酒屋に連れていきました。
店に入り、周りの人が靴を脱いでスリッパに履き替えているのを見て、吉さんも皆のようにしてみたのです。しかし、帰りに吉さんは自分の靴を見つけることが出来ませんでした。
玄関には自分の靴と似ている靴がありましたが、それが誰のものかと聞いてみても、持ち主は現れません。間違えられたんじゃないの?と思った吉さんは、その靴を履いてみました。
「痛ったったったった!」――自分の脚にとって一回り小さいこの窮屈な靴が、思ったより硬く、ようやく履いてみたところ、脚に思いっきり痛みを与えたのでした。
翌日の朝、日本に戻る日となり、チェックアウトしてからホテルの人にタクシーを一台呼んでもらいました。タクシーはとても清潔感があり、運転手さんは50歳か60歳くらいの中高年層の方でした。車に乗った吉さんが「クウコウ。」と口に出したところ、スーッと車は飛ぶように走りだしたのです。
高速道路に入って、車のスピードはさらに一段と上がりました。熟年ドライバーの割にスピードを出しすぎじゃないかと心配した吉さんが、ふとメーターを見ると、「こわっ!時速170キロ!」……。
とはいえ、走っている真っ最中なので、安全のために運転手さんの邪魔をしてはならなかったのです。料金所にきたところで、吉さんはタイミングよく運転手さんに、「No、No、Speed!」と、頼みました。
しかし運転手のおじさんは、彼の言った意味が「もっとスピード出して!」だと誤解したようで、以前よりスピードをあげてしまったのです。
冷汗で服がびっしょり濡れた吉さんは、ダウンジャケットまで脱いでしまいました。そうこうしてようやく空港に着きました。吉さんはそのタクシーから逃げるように、荷物を持ってさっさと空港に入っていきました。
待合室に入り、まだ落ちついていない吉さんは、何気なくタクシーの領収書を近くにあるゴミ箱に捨てました。
でも何か変だと直感した吉さんは、再びゴミ箱からさっき捨てたタクシーのレシートを拾い上げました。
「ふ~、あぶない、あぶない!」。拾い上げたのはなんと飛行機の切符でした。吉さんは救われたような気分になりました。
飛行機に乗って席についた吉さんは、ようやく一息つくことができました。
ところが、周りの人がコートを脱いでいるのを見て、吉さんが自分の体を触ってみると、なんとダウンジャケットがないではありませんか!
さっきのタクシーの中に忘れてきてしまったようです……。
一週間ぶりに成田空港についた吉さんですが、入国手続きを終えて真っ先にしたことは、奥さんに電話をして「俺、今帰ってきたとこなんだけど、コートと靴を持って成田に迎えに来てくれよ!」ということでした。
電話の向こうからは、「まさかコートと靴を全部なくしたんじゃないよね?」という、妻の心配する声が聞こえてきました。
「いや、家に帰ってからゆっくり君に話をするから。今回の出張は本当に辛かったよ!」――。