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マイペース

作者:王滄海  来源:贯通论坛   更新:2004-7-7 8:13:00  点击:  切换到繁體中文

 

 保育園でお遊戯
  田ちゃんが最初日本にきた時まだ二歳半でした。背は高い方でしたが体は痩せていて、ちょっと弱々しい感じでした。お父さんとお母さんは、我が子を早く日本の生活に慣らすために、田ちゃんを保育園に入園させることにしました。
  保育園は福祉施設で、入園するにはあらかじめ市役所で申請しなければなりません。保育料は親の所得によって決められるので、低所得や無所得の家庭の保育料は減額されるか免除されます。田ちゃんのお父さんは無所得の留学生だったので、結局保育料は無料となり、その上保育園のお昼代まで補助されることになりました。

 田ちゃんが入園した保育園は市立保育園でした。お父さんとお母さんはこの保育園の環境をとても気に入りました。ここの先生たちは皆大学や短大の卒業生で、幼児教育の資格を持つ優しい先生ばかりで、子供たちを平等に扱ってくれます。
  しかも最も気に入ったのは、普通の幼稚園のように決まったユニフォームがなく、毎日自分の好きな洋服を着られるということでした。ただ各クラスの子供を見分けるために、クラスごとに同じ色の帽子を被ることは必要でしたけれど。幼いころから人間平等の教育を受けてきたお父さんとお母さんは、お金で人間を差別することが大嫌いなのです。

 保育園で七五三
  1年目に田ちゃんがいたクラスは「もも組」で、帽子の色は桃の花と同じピンク色でした。この年の「もも組」の教育目標は、集団生活に慣れることと日常の挨拶を習うことでした。
  田ちゃんは毎朝、お父さんかお母さんと一緒に保育園に行くのですが、先生を見つけるといつも元気な大声で「先生、おはようございます!」と挨拶します。先生たちも親や子供たちと優しく挨拶を交わします。
  保育園の玄関で先生が子供と一緒にブロックを組み立てているのを見つけて、田ちゃんもすぐに中に加わっていきます。

 ある日、お母さんが保育参観にいったとき、先生の田ちゃんに対する評価を聞きました。それは日本語の言葉ではなくて、和製英語の「マイペース」でした。似た言葉に「個性がある」というのもありますが、それは誉め言葉です。「マイペース」の場合は、周りの評判にかまわず、自分のやり方を通すという意味なので、必ずしも誉め言葉ではありません。チームのルールを無視していると言い換えてもよいものです。

 先生の評価を聞いて田ちゃんのことを心配したお母さんは、田ちゃんの行動を観察しました。ほかの子供達がもうお昼を食べに行ったのに、田ちゃんだけはまだ外で遊んでいるのを見て、先生が田ちゃんのわがままを婉曲に評価したのだと分かったお母さん。その後しばらくの間、田ちゃんに集団生活のマナーを教え続けたのでした。

 保育園の運動会に「もも組」の子供も参加しました。早い遅いに関わらず、参加すればもれなく賞があるので、みんな大喜びでした。
  上手下手に関係なくお絵描きコンテストなども開かれました。図工やお絵かきなど出来上がった「作品」は全部名前を付けてクラスの壁に貼ってみんなに見せます。田ちゃんはすっかり保育園のことが大好きになりました。  

 お盆祭り
  2年目に入ると田ちゃんのクラスは「タンポポ組」になりました。クラスには田ちゃんの大好きなお友達がいました。二人はいつも口喧嘩しながらも一緒に遊んでいました。二人のお母さんも、会えば必ず「お世話になります」と交わします。
  お盆になると、二人ともきれいなゆかたを着て、一緒に踊ったりワタアメを食べたりしてとても楽しかったようです。

 スポーツ大会では、「タンポポ組」の子供たちが2組に分かれて、かごに砂袋を入れる競技をやりました。田ちゃんは帽子を裏返して白組に入りました。3回戦あって、1回戦は白組が惜しくも負けました。でも2回戦に入ると、先生がこっそり白組の手伝いをしたので白組が勝ちました。3回戦は白組が勢いよく一気に押し切りました。
  クラスごとに2組に分かれた競技だったけれど、いつも同じ組が勝ち続けることはありません。先生は子供たちみんなに勝利の喜びを味わせ、チームの一員として頑張る楽しみを感じさせるために努めたのです。   

 3年目になると田ちゃんは「ゆり組」のお姉ちゃんになりました。担任の先生はとても厳しかったけれど、子供達はその先生のことを「格好いい」と思っていたようで、先生のしぐさと話し方をよく真似していました。
  その年田ちゃんの一番親しいお友達が引越しで保育園にこられなくなりました。これは田ちゃんが初めて経験した「おわかれ」だったので、しばらくの間すっかり落ち込み、大好きな保育園にも行きたくなくなってしまったようでした。

 田ちゃんのことを心配したお母さんは、先生のところへ相談に行きました。先生は、小さい輪の中だけにとどまることなく、大勢のお友達と仲良く遊ぶことに励むべきだと勧めてくれました。
  先生の助力と励ましにより、田ちゃんにはたくさんのお友達ができました。田ちゃんは、前は嫌っていた悪戯好きの男の子とでも遊べるようになりました。みんなと一緒になわとび、かるたとり、コマまわしなど、少し難しい遊びも習いました。
  それからコンテスト。皆だれしも1つは「なになに名人」をもらいました。

  お母さんは仕事の関係で迎えが遅くなりますが、5時以降はパートの先生たちが子供達の面倒をみることになります。ちょっと年配で優しい先生ばかりで、子供たちに紙芝居や粘土、図工、お絵かき、ブロックなどのおもちゃでよく遊ばせて、ちっとも寂しくありません。
  田ちゃんは紙芝居が大好きです。紙芝居とは、A3サイズの紙の表に絵があり、裏面にセリフが書いてある絵本みたいのものです。先生は子供たちに絵を見せながら、いろいろな人物の表情と声を真似て、生き生きとした演技をしながら読み聞かせます。   

 4年目には年長組の「スミレ組」になりました。二人の担任の先生は、ともに若くてかわいい先生です。みんなこの二人の先生のことを「かみ先生」と「みか先生」と呼んでいました。かみ先生は背が高くて、まだ結婚していませんが、みか先生は花嫁さんになったばかりの人です。スミレ組の子供たちは二人を自分のお姉さんとして尊敬しています。
 
  竹馬に乗って
  4年目に子供たちが挑戦するのは一輪車と竹馬に乗ることです。一輪車と竹馬はともに勇気と練習が必要な遊びなので、子供にとって難しいことです。でもかみ先生とみか先生の指導と励ましで、クラス全員があっという間にできるようになりました。しかも卒園式でみんながそれを披露したのです。

  いよいよ卒園式がきました。みんなが園長先生から分厚い卒業書をもらいました。それはお父さんの修士卒業書よりも立派なものでした。保育園は園児たちに卒園記念写真集を一人一冊ずつ作ってくれました。中には保育園で生活した日々の写真が載っています。
  このクラスを見送って、みか先生は自分の赤ちゃんの誕生を迎え、かみ先生もお嫁入りの準備をして名字を変えました。卒園式の日、みか先生は出産のため入院してしまい出席できませんでした。かみ先生はきれいな和服をきて、子供たち一人一人を抱いて涙に暮れました。

 みんなは一斉にあの4拍子の歌を歌い始めました。「春のことだよ、思い出してごーらん、あんなこと、こんなこと、あったよね…」と。その歌の歌詞とメロディはとても美しくて、それからしばらくの間、田ちゃんとお母さんは毎日鼻歌でそのメロディを歌っていました。  

 田ちゃんは、ついに4年も通っていた保育園から離れ、一緒に遊んでいたお友達とも別れてしまいました。住んでいる地域が違うので、田ちゃんと同じクラスだった友達は全部他の小学校に進学することになったのです。でも田ちゃんはもう新しい友達を作ることができるので、前のように落ち込むことはないでしょう。

 

:この文章は、著者が日本での経験を、中国の幼児保育の現状と子育てについての考え方と比較して書いたものですので、中国の状況を説明した方がわかりやすいと思います。
  中国では子供を育てる方針として「英才教育」を貫いています。保育園も幼稚園も、お遊戯の場所というより、幼児教育の場所と考えます。
  親たちも、子供の早期教育に力をいれており、習字、楽器、絵画などのクラスに子供を通わせ、あるいは幼児段階から小学校の教育内容を勉強させるようにします。もちろん子供に競争のプレッシャーをかけます。
  保育園や幼稚園での子供の生活は厳しく管理され、田ちゃんのようなわがままな行動は許されないと思います。
  しかも中国人は日常会話の中で、曖昧で、遠慮深い言い方はあまりしないので、「マイペース」のような意味不明な評価はまずありえません。
  中国の保育園や幼稚園では、問題が発生しない限り個人の家庭とあまり連絡を取り合いませんが、日本では、いつでも先生や園長に気軽に相談できます。


 

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