日本に来る前、私は「梅雨」を見たことがありませんでした。ずっと北部に住んでいる人は大抵、雨に対する一種の特別な期待と憧れを抱いています。漢詩の「江南、梅の熟した日を憶う」や「清水、天より碧し、畫船で雨音を聞きながら眠る」のような境地がなんともいえないほど美しく感じるものです。でも、詩を読むときの感覚を現実の梅雨につなげて考えることは案外難しいことでした。
日本に来て初めて、本当の「梅雨」の姿を知りました。東京の場合、6月中旬(下旬)から7月中旬(下旬)にかけて、1ヶ月くらいの間、梅雨と呼ばれる季節があります。梅雨の前は、からっとしてとても心地よい天気の日が続きますが、梅雨の後は、蒸し蒸しして暑くてたまらない毎日になります。梅雨の間は、ほとんど毎日のように雨が降り続けますが、しかも朝から晩までのことが多いのです。雨はそれほどひどくはありません。大抵シトシトした霧雨ですが、故郷の雨より緻密です。それでも雨具がないとやはり困ります。
日本のいたるところで、他人に捨てられた雨傘を見かけるので、晴れの日に1つ拾って、傘を忘れた日のために、どこかに置いておけばいいのです。
以前、人から日本人は毎日着る服を換えるということを聞きました。ちょっと首をひねってしまいますが、前日の服を換えないということは、その日一晩中自分の家に帰らなかったと人から思われるので、OLをやっている女性達などはその日の夜、家に帰る予定がなかったら、出勤するとき、服をもう1セット会社に持っていくそうです。
街を歩く女性たちを見ると、常にたくさんの鞄を持っている人もいれば、とても大きな鞄を持ち歩く人もいます。その姿を見ると、ある週刊誌の「あの大きな鞄の中には叶えられない欲望が入っている」という文章を思い出し、彼女達の行動にもそうした特別の意味があるのかなと、つい思わざる得なくなります。
私が日本についた日は、ちょうど梅雨の真っ最中でした。飛行機の中には1人あたり、20キロの荷物しか持参することができません。重要な物だけでもうその限界に近かったので、服をそれほど多く持ってきませんでした。梅雨でない日ならまだいいのですが、梅雨の時期だったので、洗った服は三日かかっても乾きません。着替えの服がないので、とてもイライラしてしまいました。
故郷だったら、3時間乾かせば服がカラカラになるのに、梅雨ときたら!と、愚痴ばかりでした。後で他人から、梅雨の季節には湿っぽい服をそのまま引き出しの中に入れて、そして乾燥剤も一緒に入れておき、着るときまだ少しじめじめした感じがしても、体温でその服を乾かすしかないといわれました。 それはまるで無邪気な子供のやることのようだと、私は思いました。
日本の家は大抵が木造で、床に畳を敷いているので、梅雨のときの気温と湿度の影響で、ダニと呼ばれる一種の寄生虫が繁殖するのに適したコンディションになりがちです。中国ではこの種の寄生虫を「壁虱」という名で呼んでいます。ダニは人間の目に見えないほど小さくて、適当な温度と湿度の下での繁殖力が極めて強いのです。
ダニのいるところに長くいると、大人は皮膚炎などに、子供は過敏性喘息にかかりやすくなります。でも、暖かくて湿度の高い日本では、ダニとの戦いは避けて通ることのできないことなのです。一般に、ダニの繁殖を防止する方法は2つありますが、1つは掃除機除去法で、ほぼ2時間ごとに1回、掃除機を掛けなければなりません。もう1つは殺虫剤を使う方法です。殺虫剤の値段はちょっと高いのですが、6畳の広さなら600円程度します。
梅雨が明けると、家々の軒に万国旗をかけるような風景が見られます。それは実に、梅雨のためにじめじめしていたお布団や服などを、久しぶりの太陽の下でじっくり乾燥させる風景なのです。
中国北部出身の留学生は日本に来た最初の年、衣服の保存方法を知らない人がほとんどです。母国から持ってきた革のコートやセーターなどの厚着が必要になったとき、いつそれらの服がカビまみれになったのか分からず、途方にくれてしまいます。それに対して、日本人は梅雨に関する生活の知恵をたくさん身に付けています。たとえば、防虫剤を服やお布団と一緒に、清潔で乾燥したプラスチックの箱の中に入れるという保存法により、簡単にカビと虫の侵蝕から逃れるのです。
梅雨は人の気持ちにも影響を与えます。灰色の空、じめじめとした空気と服、そして狭い自分の部屋、それらを見る私も、気持ちまでべたべたしてうんざりします。その昔、日本人の国民病は肺結核だと言われていましたが、多分梅雨がその原因の1つでしょう。
ある日本人に、「中国には梅雨がありますか?」と聞かれたことがあります。
「ありますよ。梅雨は南から北へ移動するものです。まず広東省、つぎに福建省、浙江省。梅雨のとき、ちょうど梅が熟する季節なので、梅雨という名前が付けられたのです。長江から北の地方は温度が低いので、梅を植えることができません。梅雨が長江を渡ると、もう夏に入ったということで、しとしと降る梅雨の雨は夏の豪雨へと変わります。ですから、長江から北の地方は夏あまり暑くないのです。」と、私は自分の知る限り、できるだけ詳しく説明してあげました。
「ほう、なるほど。梅雨という名前はもともと中国から伝わってきたものですか。」 相手の言葉を聞いた私は、得意に思えばいいのか、それともうんざりしているのか、自分でもよく分かりませんでした。