
1994年の秋、私は訪問学者として、日本の仙台市にある東北大学を訪れました。仙台に着くと、友人が「そこの広瀬川ではマガモが群がっている風景が見られるよ。」と教えてくれました。私はそれを聞いて、こんな市街地になぜ野生のマガモがいるのだろう、と不思議に思いました。(中国では、市街地で野生の鳥の姿を見ることはあまりないのです。)しばらくして、ある日、自転車で青葉山仙台博物館に行った帰りに広瀬川に寄ってみることにしました。言われた通り、十数匹のマガモが、川で自由自在に泳いでいる姿が目に映りました。その傍若無人で、のびのびした様子はまるで、自分の家の川で泳いでいるようでした。数日後、私はオリンパスのカメラを買って、早速広瀬川に行き、マガモたちの姿を記念撮影しました。
中国では鳥は人間の友達です。鳥がいる世界に住むかぎり、人間の生活はすばらしいものになります。鳥は、大空を羽ばたくことを自分の身を持って、人間に示したのです。ゆえに以前から、鳥はすばらしい暮らしをもたらす象徴となっているのです。
たとえば、成語には「鳥」を使って作られた言葉が多いものです。「比翼双飛」は愛の真理を示す言葉ですし、また「鳥語花香」、「鶯歌燕舞」、「百鳥朝鳳」などは、平和と吉祥を象徴する言葉です。また人の成功を祝うとき、人を励ますときに、われわれは「鯤鵬展翅」、「鵬程万里」などの言葉をよく使うものです。

日本にいると「鳥は人間の友達である」という空気を特に感じます。日本人が鳥を愛するのは、自然な風潮のようです。公園や広場などで、観光客が鳩にえさをやることは、よく目にすることです。海辺で、食べ物を手のひらの上に置いて、カモメたちが食べにくるのを待っている家族もいれば、自宅の庭の木に鳥たちのために、巣箱を作る人もいるのです。
鳥たちは日本人に甘やかされているのです。だから鳩たちは、広場などで通行人の邪魔になろうとも、人の足にびくともせずに、ただ優雅に避けるだけなのです。朝、近くにいるカラスの泣き声で目覚めることが、あなたにもよくあることでしょう。川のあるところでは、のんびりとした鳥たちの姿が日常の風景になっています。バス停の水飲み場で懸命に蛇口を開けようとするカラスたちは、ちっとも人の目を気にしないようです。黒ハクチョウは賑やかな皇居のお堀に住みついています。
さらに面白いのは、人が鳥を怖がっていることです。農民は鳥による農作物への侵害を防ぐために、ネットで畑を覆ってしまいます。都市ではカラスの被害を減らすために、わざわざごみ収集の時間を昼間から夜に変更したところもあるのです。しかし最近になって東京のカラスは夜に餌を探すようになったと聞きました。人と鳥の争いはまだまだ続くようです。
仙台にいたあるときのこと、私にとって印象深かったことがありました。私はその頃、毎日、八木山国際交流会館と東北大学流体研究所との間を通っていました。
途中「柿ノ木」と名づけられた食事処がありました。食事処の名前は店の傍に植えられていた大きな柿の木から来たものだそうです。私がはじめてその大きな柿の木を見たとき、その実はまだ青かったのですが、時間がたつにつれて少しずつ黄色、そしてオレンジ色へと変わっていきました。もうそろそろご主人の収穫の日がくるだろうなと思っていたのですが、季節が深秋から初冬に変わっても、柿はまだ木の上にぶら下がっていました。
ちょっと不思議に思ったのですが、でもその後たくさんの鳥がその柿の木に飛び寄せられてきたのを見て、ああなるほど、それらの柿は、わざと鳥たちのためにご主人が残しているものなのだと分かったのです。
関東にきてからも、仙台と同じような光景をしばしば見かけたものです。