かつて友達と世間話をしたときに、「中国人と日本人との一番大きな違いは『個人の達成感』の違いだ」という話をしたことがあります。私がその理由を聞くと友達は、日本人の達成感は「格物」(物事の道理を窮めること)もしくは「玩物」(道楽に深入りすること)を通して感じることが多いからと答えたのです。
そこで言う「物」とは「天工開物」(巧みな職人が作った物)の「物」を指してもいるし、「玩物喪志」(道楽に深入りして本来の志を失うこと)の「物」の意味も帯びています。
中国の祖先たちは、「玩物喪志をしないで格物し伝道すべきだ」と教えていますが、では後世の人にとって「道」とは何でしょうか?私たち現代の人間にとって「道」とはすなわち「自己主張」だというのです。
ではその「自己主張」をどのように「伝」するのかというと、「地位の高い官僚になれば、自然と目の前の道が開き自己主張が伝わる」といいます。現代の人々は「天工開物」や「格物致知」などの教えから受けた影響が少なくなってしまったようです。
日本人はそれほど広くない島の上に皆が集まっているせいでしょうか、彼らはとても現実主義で、一生を養える一つの技を身につければもうそれで納得してしまうようです。ですから日本人は大志を抱かないようにも見えます。さらに日本の職人を見るとその感じはさらに強くなるでしょう。
日本は職人の国であるとも言えそうです。日本人はある仕事をやり遂げたこと、あるいはいい物を作り上げたことを一生の誇りに思いますが、自分が官僚になったことや大もうけしたことは誇りには思わないようです。
もし日本の若者に将来の夢は何ですかと聞いたら、職人さんになりたいとか自分のお店を開きたいとか、そのような答えが案外多いものです。多くの日本人は名職人になるために、あるいは自分のお店を繁盛させるために長年の修行、または長年の経験を重ねてやっと実現させるそうです。
しかし名匠は技が大変優れているゆえに、怒りっぽい人が多いようです。弟子に対してとても厳しいので、弟子が修行中に先生に怒られることはよくあることのようで、修行は大変つらそうです。
続いて官僚たちの暮らしを見てみると、彼らもそれほど順調そうにも見えないのです。政治家達は選挙の時期になると、笑顔とお辞儀が不可欠なものになります。会う人すべてにお辞儀をしたり挨拶をしたりするくらいです。駅前のデパートの前で、繁華街の中で、彼らの姿はいたるところで見られるようになります。
彼らの出す気前のいい承諾と政治に対する鋭利な攻撃、そして競争相手のスキャンダルと真心からのお願いはすべて次の一言のためです。それは「皆さん、私の名前を覚えてください。私に一票を下さい。」という一言です。
朝、寒い風の吹くなか8時半の電車に乗りに行くたびに、こんな風景をよく目にします。市議会議員に当選したい人は、オーディエンスのいない駅の広場で、行き来する人並みに向かって講演をするのです。
彼らは通行人が自分の講演を聞いてくれないからといって、やめようともいえないし、目の前の誰かが自分に投票してくれるよう、「お願いします」と頭を下げない訳にもいかないのです。喝采してくれる人のない巨大な舞台で政治を担う役目を演じるのは日本の政治家達の欠かすことの出来ない修行のようなものです。
日本人に好まれる「修行」や「修業」という言葉は、成功するために勉学と訓練が必要だという意味合いを含んでいるので、中国語の「臥薪嘗胆」や「苦行」と意味が似ています。この世の中にあるたくさんの職業の中で、地主と売春婦を除けばすべて修行が必要のようですね。
「貧乏脱出」という番組があります。日本全国の赤字に苦しんでいる料理店経営者は、この番組を通して助けを求めるのです。すると番組は彼らに名人の店を紹介して、そこに修行に行かせるわけです。そして番組は彼らの修行過程をテレビ番組として放送するのです。
こういう修行はたいてい数日間しかありませんが、先生になる名人達は主に一つ技にメインを置きます。弟子になる経営者達もこの機会を非常に大切にしています。
その中で、ある人が20年も寿司専門店をやっていましたが、それでも、寿司をにぎる要領を掴むことができませんでした。「貧乏脱出」の番組を通じて、彼は有名な江戸前寿司店で短期修行の機会をもらいました。もちろんそこは名店だし、先生も名人なので修行はとても厳しいものでした。
短い7日間でしたが、彼は魚のさばき方から、形の整え方、漬け方、またご飯の炊き方、寿司の握り方と並べ方、そしてお客に出すときの言葉遣いまで、ピンからキリまで逐一に教わりました。しかし途中少しでも間違いあったら、すぐ名人に怒られてしまったのです。修行する人は家族の生活が掛かっているので、ひたすらその辛さに耐え続けていました。
最初の4日間、彼はどうしても鯵の寿司を上手く作ることができませんでした。名人はたった一回作って見せただけで、何の説明もなく、彼に自分のやり方を真似して作らせたのです。
彼がいくら頑張っても、なかなか名人のやった通りにいきませんでした。彼は不合格の寿司を名人に見せるたびに「捨てろ」と一言返されるだけなのです。
不合格の原因が分からないままの彼は、他に教えてくれる人もおらず、40歳を越えたというのに、自分の失敗を前に涙を流したのです。名人はやっと2回目の模範を示すことに応じてくれました。彼は今回は名人の動作を一つ一つ細かく頭の中に刻みました。続いて彼の番になったとき、作り方どころか名人の動作までもすっかり真似したのです。
名人は彼の出来上がった寿司を一口食べて、「今度はお客に出してもいい」と彼に言いました。先と同じように彼は涙を流しましたが、でも表情は前とがらっと変わったのです。それはおそらく達成感が表情の中に入ったからでしょう。
もう一つの番組は「家庭裁判」といいます。うまくいかない夫婦が撮影現場に招かれ、ゲストたちの前でそれぞれ自分の言い分を言うのです。
ある夫婦は夫の月収が20万円しかなくて、しかも子供が二人もいるのに、夫は飛行機模型が大好きで、ここ12年ほど新しい飛行機模型が発売されると、高くても安くても構わず必ず買ってきてしまいます。
家には彼専用の飛行機模型収集室が設けられており、彼の集めた飛行機模型は種類が豊富で逸品ぞろいです。
彼は収入の中から毎月5万円の小遣いを貰い、残りの15万円を妻に渡すのです。一家が毎月たった15万円で生活することはとても大変なので、にっちもさっちも行かなくなることがよくありました。
結婚して12年間、妻は新しい服を買ったことがありません。それだけではなく、さらに夫の方はカラオケも大好きということで、好きな歌手のCDも新譜が出ると分割払いで買ってきます。ですから妻の方は不満一杯で、とうとうテレビ局にきてゲストたちの前で、夫が趣味を捨て、その小遣いを生活費にあてるべきだと主張したのです。
一方夫の主張は、生活は多少貧しいものの趣味の楽しさがあるから苦とも思わない、しかも彼は子供と一緒に遊んだり、子供達の作曲力を養ったりするように、子育てにも努力していると言ったのです。
結局みんなの意見は、夫は趣味を捨てなくてもいいが、なるべく妻の大変さを理解してあげて、自分の趣味に使う小遣いを半分に削ったらどうだということに落ち着きました。
日本の小中学生に将来の夢を聞くと、政治家や官僚、科学者になりたいという子供は少数です。日本の親達は中国の親達のように、子供の将来の職業を小さいころから決めてあげようとする考えをもっていないのです。
今の時代、自分の子供の頃の夢をずっと一生貫く人は極めて少ないのです。逆に「茶館」という劇に(中国の有名小説家――老舎が書いた小説《茶館》をもとにつくられた劇)「歯がある時分には落花生がなかったのに、落花生が手に入るようになると歯がなくなってしまった」という台詞の表したようなケースはよくあります。
とにかく「脚踏実地、不断努力、先求生存、再図発展」(地道な姿勢で常に努力し、まずは生き延びることを優先し、それから発展を図るという意味)は現代人の職業選択の態度だと思います。私たち中国人も、手元の仕事をしっかりこなして自分を養っていけるということを、十分誇りに思っていいのではないでしょうか。