您现在的位置: 贯通日本 >> 留学 >> 留学感受 >> 正文

努力は自分次第

作者:張翔  来源:贯通论坛   更新:2004-7-9 11:02:00  点击:  切换到繁體中文

 

 

大学の様子 1997年に私は北京外国語大学英語科を卒業しました。北京外大は中国では有名な外国語大学ですが、でも外国のために人材を育成しているような気がします。
  それは、大学二年生にもなれば、すでに外国へ「流れていってしまう」学生が多く出てくるからです。
 なぜそのようになったのでしょう?外大の学生は外国語を習得したからこそ、外国に「出稼ぎ」に行ける条件を備えるわけです。
 外国へ行くのが難しいと言われてはいますが、その理由はただ外国へ行くお金がないことと、外国語に不自由であるということにあるのではないでしょうか。

  現在、話す人口の少ない言語の使用国は、学費免除の上、奨学金の支給などの優遇条件を出して中国の現役大学生をどんどん自国へ受け入れています。
  たとえば、ドイツ語科の学生は大学三年生の時、24人中たった一人だけ、学生会副会長を務めている学生しか在学していない状態になってしまったのです。
私のいる英語科の情況はもう少しましです。たぶんアメリカが対中政策をわりと「真面目」にやっているせいでしょう。英語科の学生は卒業後、各自出国の道を探して、優れた人はアメリカへ、そこそこ優秀な人はイギリスへ、私のようなコネもなくお金もない人は日本にやってきます。

  留学生は、かつて自国でいくら良い大学を卒業したとはいえ、外国にきた上は誰もみな最初から始めなければなりません。
  外語科の学生は、専門科目以外に第二外国語を学ぶことが義務づけられていますから、大学時代に私は日本語を選択していました。
 当時はまだ日本に留学に来ることまで考えていませんでしたが、ただ日本が経済大国で、法制もわりと整備されている国なので、この西洋化された東洋の国を理解するためには、その国の言語を学ぶことが最も役に立つだろうと思っただけでした。

  日本語を勉強したことが、後の私の日本留学に実に便利を与えてくれたということは、当時思いも寄らないことでした。でも、当時日本語は私の専門ではなかったので、非外語科学生のように自分の選択した外国語を何級まで取らなければならないというほど厳しく要求はされなかったのです。
 つまり、第二外国語の勉強はただ私個人の自覚次第だったのです。大学時代の私は、日本語をあまり本気で勉強しなかったので、日本にきてから一年間の日本語学校通いは無意味なものではありませんでした。その一年で私は日本語能力試験の一級合格証を手に入れたのです。
 語学に堪能であるということは外語科学生の長所の一つといわれますが、でも私はこの長所をそれほど良い事だとは思えません。逆に自分の性格的な短所の方が目立っているように思います。
 厳格にいえば、外国語は専門ではなくて一つの道具にすぎません。外語科の卒業生はタクシー運転手と同じです。外国語のできる人が少ないうちは、外語科の学生はまだ少し役に立つでしょう。しかしそれは中国でタクシー運転手がまだ一つの職業として成り立っているのと同じです。
  誰でも私用車を持つ先進国においては、タクシー運転手の職業はだんだん消えていくでしょう。そう思った私は、語学の大学院に進む気はなくなり、本当の専門知識を学びたいと思ったのです。

  最初のうちは医学を勉強したいと思いました。しかし医学大学院は、医学や薬学、獣医学の学部卒業生でない人には受験資格を与えません。この文系出身の私には、医学の殿堂に入るチャンスすらないのです。そこで医学をあきらめ、法学に進もうと思いました。
 幸い、法学院生については法学学士でなければ受験資格がないという話はありません。とはいっても、自分に受験資格があるかどうかを確かめるために、私はそれぞれ東京大学、私立の中央大学や法政大学など、あちこちの法学部の資料を調べてみました。しかも何人かの教授にメールで尋ねてみたのです。
 その中で中央大学の返事が一番速かったのです。一週間も経たないうちに、鈴木教授は返事を書いてくれました。内容は大体こうでした。
  私は法学部に進学できますが、ただし法律に関するレポートを発表したことがあるというのが前提とされています。ですから、一年か二年くらいの研究生を経て、その間おもに法律の予備勉強をし、それから少なくとも一つ、論文を発表しなければならないということなのです。
 そのほか、彼は入学についていろいろと説明してくれました。鈴木先生はまた自分のメールアドレスと電話番号を教えてくれました。私は鈴木先生の熱心さにとても感激しました。
  私はただちに鈴木先生に電話をかけてみました。彼に感謝の意を示したほか、彼の研究生になりたいという希望を伝えたのです。先生は即座に面接の時間を決めてくれました。

  わくわくしながらも、少し緊張ぎみで鈴木先生に会いました。彼はまず法律事業を志する私の気持ちと、今までの行動について賞賛と支持の意を示してくれました。
 また、彼は非常に真剣に私にこう言いました。「法律というのは、政治と文化から生まれてきた産物です。どの国にとってもどの社会にとっても、法律が健全に機能しているかどうかは、そこの文明化と発達の程度を示すしるしです。
 盛唐時代に、日本の遣唐使は中国に法令を学びに行き、日本社会を野蛮から、日本の国民を愚痴から脱出させるのに大きな貢献をしてきました。
  国々はそれぞれ独自の法律を持っていますが、厳密にいえば、法律には国籍がありません。法律は常に社会の進展とともに変わっていくし、世界のグローバル化にともない法律分野の幅は拡大していくのです。」などなど――。
 鈴木先生とは初対面でしたが、職業柄でしょうか、いろいろ「講経説法」(道理を教えること)をしてくれました。その日、私は鈴木先生の研究生になりました。

  日本の研究生は中国では「進修生」と呼ばれます。つまり大学院に入るための予備生のことです。もし研究生をしても院生に受からなかったら、それまでの努力が無駄になるのはいうまでもなく、指導教授に「恨鉄不成鋼」(何とか立派な人間になってほしいが、結局失望させられたときの悔しい気持ちのたとえ)という目で見られ、その上同級生たちには見下されてしまうのです。結局残るものは失敗の経験だけです。ですから私はまっとうに、かじったことのない法律を一生懸命に勉強しました。
 文系研究とは、いわば図書館通いと資料虫になることです。研究生の研究室は図書館です。私は図書館と研究室の書籍の山に身を埋めました。
  どうしても分からない所があれば、先生が紹介してくれた博士の先輩に聞きに行くくらいで、先生は実に研究生のことまで考慮する余裕はありません。
  ただし自分の論文に関する修正や発表などの重要なことに関しては、時々先生に報告しなければなりません。

時間の節約のため、毎日私は昼食をたった二つのパンで済ませます。学校の食堂にご飯を買いに行くことはありません。時間もお金も一石二鳥の節約です。
  というのも、一年間で鈴木先生の指定してくれた何冊かの本を全部読み込みたいから、そして一日でも早く自分の論文を書き出したかったからです。
 自分の論文を、公開されている学術雑誌に乗せるか、あるいは日本全国規模の学会で発表するか、どちらかによって大学院入学試験を受ける資格が備わります。
  鈴木先生は自ら、私の論文を学会に推薦すると約束してくれました。それより何よりまず私は先生を納得させる論文を書き出さなければなりません。

  半年後、やっと「盛唐時期の中国法令が日本に与えた影響」という論文を書き終えました。厳格にいえば、それは専門性のある法律論文といえませんが、鈴木教授に日本法学年会で発表するように要求されました。
  大会の規則によると、論文の発表は日本語もしくは英語を使うことになっています。当然、私は英語での発表を選びました。
  当日、出席した学者たちからは、むしろ私の流暢な英語に興味を感じてのことでしょうが、熱烈な拍手をいただききました。この意外な結果に対して、鈴木先生はとても喜んでくれました。
 そうして院に進学する資格がようやく私の手に入りました。院生になった今の私は相変わらず図書館と研究室を自分の基地として、文献と資料に埋もれた毎日に明け暮れています。
  先生は大学院の門を私に開いてくれましたが、その中での修業はやはり自分次第なのですね。


 

留学录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇留学:

  • 下一篇留学:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    日本留学生省钱小技能解析

    中国研修生在日境况牛马不如

    去日本留学:一年的费用是多少

    盘点日本留学之必带物品

    申请日本留学的常见问题分析

    申请日本留学误区解析

    广告

    广告