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友、遠方より来たりて楽しからずや
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 日中友好を目的とし、また東洋各国文化間でのより深い相互理解を促し、なおかつ島崎藤村の民族文化に対する貢献を記念するために、長野県小諸市は日本と中国、両国において「藤村文学賞」を設け両国の優秀な学生を奨励することにしています。 「小諸市中国藤村文学賞」の授与は当初、日本側と南京大学の教授が共同し、民間方式で三回にわたり取り行われましたが、この活動の知名度が高まるにつれて、江蘇省外事事務所と南京大学が重視され、最終的に政府と政府間の定番活動になりました。1998年からは活動も三年に一度と正式に決まりました。 2001年5月、小諸市は代表団を派遣して、中国の江蘇省南京市で開催された第二回授賞式に参加しました。代表団団長は小諸市市長の小林俊弘さんです。副団長は議長の小林保二さんと日中友好協会会長の二人です。 「小諸市中国藤村文学賞奨励代表団」一行は総勢21名で、5月8日に成田を出発し上海に到着後、翌日午後2時に南京市で開催される授賞式に間に合うよう、そのままバスで南京に直行するという予定でした。 「有朋自遠方来,不亦楽乎?」(友が遠方より来てくれてとても嬉しいという意味)。江蘇は僕の故郷であるので、かつて小諸市に招待されたことのある僕は、以前からずっと自分の故郷に日本人の友達を招待したいと思っていました。今回は絶好のチャンスです。 5月9日朝、僕は家から南京行きの始発バスに乗りました。ゴールデン・ウィークが過ぎたばかりとはいえ、バスの乗客は依然として多く、僕が乗ったときにはもうすでに満席でした。仕方がなく臨時に用意されたプラスチック製の補助席に座り、5時間あまりの旅のあと、やっと南京につきました。 南京大学の広いキャンパスに入ると、僕はまるで「劉姥姥進大観園」(ドラマ「紅楼夢」の1シーン)の田舎者の劉姥姥のようで、2時間後に開かれる授賞式の会場がどこにあるのか、まったく見当もつきませんでした。
南京大学の新設キャンパスは1999ヘクタールもあるので、もちろん広いことはいうまでもありませんが、市の中心にある鼓楼キャンパスですら45ヘクタールもあるのです。こんな広いところで一体どうやって探せというのでしょう? ふと大学の外事処に尋ねれば速いんじゃないかと思いつきました。そこで、樹華楼にある外事処国際交流課に行き、自分の目的をそこの戴課長に説明すると、彼は非常に親切に僕を接待してくれました。 彼の話によると、授賞式は明日の午前11時半開催に変更になったというではありませんか。彼から渡された日程表を見て、予定の急変に一瞬「えっ?!」と思いましたが、でも逆にこれで来客を迎える準備がゆっくりできると、僕は内心ほっとしたものです。 戴課長の案内に従って、僕は南京大学のホテルに泊まってそこで異国の来客のくるのを待つことにしました。 10日午前9時、僕は予定時間の11時より2時間ほど早めに外事処に行きました。でもその時、外事処の職員達は迎えの準備にてんてこ舞いでした。 たとえば、陳副校長は講演原稿の準備、事務員は日本語科の先生に通訳の依頼、会場の準備に日本人来客への記念品などの用意、また歓迎宴会の確認などなど…。その日外事処にかかってくる電話は朝から晩までひっきりなしでした。 その忙しい様を見ると、思わず僕まで緊張してしまうほどでしたが、でも僕には何も手伝ってあげることはできません。ですから僕は「先睹為快」(人より先に見るのがうれしいという意味)の好奇心にそそられて、知行楼にある会場を見に行くことにしました。
会場はそれほど広くはありませんでしたが、素朴さと優雅さの感じられる、とてもいい雰囲気の会場でした。しかし一方でちょっと重く感じられるところもありました。それはつまり、会場には団体のシンボルマークのほか、両国の国旗が飾られていなかったのです。応接室にも国旗の姿は見られませんでした。 日本にいたとき参加してきた交流活動では、見学会を主催した工場も含めて、主催側は必ず会場のいたるところで、日中両国の国旗を飾っていたものです。 たとえば、あるプラスチック生産工場では、中国から見学にきた人たちを歓迎するために、前もって工場正門前の広場に中国の国旗を掲げていましたが、それはとても印象深いことでした。 日本人は民間交流であっても、国家間の礼儀を重んじ、普通の企業でも自分達の民族イメージを大事にしていると思ったものです。その点においてわれわれ中国の企業は、少し劣っているような気がします。 十時半、先方から電話がかかってきました。代表団は、いまバスに乗って高速道路からおりて市内に入るところだということでした。「ああ!あと半時間もすれば、南大のキャンパスで小諸の友達と久しぶりに再会する時がやってくるんだ!」……。 ゆっくり止まったバスを迎え、僕は南京大学の歓迎の列を尻目に、真っ先にバスに入っていきました。前列に座っていた会長や副会長などの旧友たちとつぎつぎと握手を交わしました。 南京大学の人を無視して先に来客を迎えてしまった僕は、わざとそうしたのではなくて、内心の感激をどうしても抑えられなくて、自然とそうなってしまったのです。 本来、もう不惑の年代に入った僕は、若い人のような情熱はもうなくなっているはずです。そもそも僕は若いときでも人前で目立ちたいというタイプの人でもありませんでした。 なぜ今回僕がこんなにも感激を抑えられないのかというと、去年の小諸の旅が僕に生涯忘れられない思い出を与えてくれたからです。
去年の小諸の旅は、74歳の会長と67歳の副会長、そしてもう一人、84歳の会員が、三人そろって僕達の見学団と一緒に楽しい3日間を過ごしてくれたのです。 特に、小諸市を離れたその日、副会長の奥さんやホストファミリーのお母さんまでもが、私達を見送ってくれたのです。彼らのほかに送ってくれるつもりだった何人かの日本人友達もいたそうですが、その日は都合が悪くなり、お目にかかることはできませんでした。 小諸市から東北――上越の新幹線の駅まで車で半時間くらいかかりますが、彼らは私達をずっと駅まで送ってくれました。私達が乗った新幹線が駅を出たあとも、ずっとホームに立って見送ってくれた彼らの姿が、だんだん僕らの視界から消えていき……、その時の気持ちは一生忘れないでしょう。 いつしか僕の目は涙で翳みました。僕は心のなかで言いました。「小諸、またいつか会いましょう!」と――。 また去年9月、ずっと見学に同行してくれたあの84歳のおじいさんが、自ら浅間山に行き火山石を採取して、そしてわざわざ郵便で僕らに送ってくれたのです。 僕は火山石を一つ国に持って帰ったほかにも、後楽寮の友達に分けてあげました。僕は後楽寮の寮友に小諸に遊びにいくように勧めました。だって小諸市には中国人に親切にしてくれる友達がいるんですから! そして今日、その僕の大事な小諸市の友達が、自分の故郷に遊びに来てくれたんだ!僕は二十数人の顔の中から一所懸命にあのおじいさんを探したのですが、彼はその中にはいませんでした。 あのおじいさんは、かつて内モンゴルの大草原を訪れた経験も持つ方ですから、今回代表団として姿を現さなかったとは、きっとどうしてもこられない理由があったのでしょう。でも、僕は会長に理由を聞く勇気を出せませんでした。 代表団一行は、まず外事処が用意した応接室で一休みすることになりました。4時間のバスの旅を経て、トイレに行きたがっている方も多かったようですが、しかし一階にはトイレは一つしかなく、臨時通訳の日本語科の大学四年生もちょっぴり戸惑い気味…。 僕はふと以前kanlema.comで読んだ「雪地迷踪」という文章を思い出しピンときました。僕は、男性の方を二階へ、女性の方を一階へと案内しました。 そうして休憩の一時、僕はやっとゆっくり彼らと話をすることができました。中には前回小諸でお会いできなかった小林保二さんや総務部庶務課秘書係長の内掘和雄さん、ホストファミリーのお嬢さんの世本雅子さんなどもいました。 会長と副会長は、人に僕のことをこう紹介してくださったのです。「去年小諸に遊びにきたあと、kanlema.comという中文サイトで小諸のことを書いてくれた陳さんですよ」と。 僕が小諸を訪れ、小諸のことをみんなに知らせ、そして小諸の人も僕のことを覚えてくれていたのです。  午前11時半、「小諸市中国藤村文学奨授賞式」の幕が開きました。奨励賞は「藤村文学翻訳賞」と「藤村文学愛読賞」の二つに分けられています。前者は、また一等賞一名、二等賞二名と三等賞三名があり、後者の受賞者はあわせて三名です。 小林俊弘市長は、自ら9名の受賞者に賞を授けました。日本の習慣によると、受賞者はまず賞状の朗読を聞いてから賞を受け取るのですが、はじめて賞を受け取りに行く学生は、それに慣れていないので、いろんな笑いを生み出しました。授賞式はすっかり楽しい雰囲気に包まれました。 式が無事終わると、歓迎宴会に移りました。江蘇省外事事務所の責任者や南京大学日本語科の教師、一部の学生達により日本代表団の方々を歓迎しました。 南京大学日本語科主任の張国仁教授は、日本人来客たちの通訳を見事に務めました。張教授の達者な日本語を聞いて、僕は日本語研究に携わった一人の友人の言葉を思い出したのです。「言葉は、世界の距離を短くするものです。言葉は、人々の心を開く鍵です。」と。 宴会の席で、日本人の方々は、すばらしい合唱を披露してくれました。とくに高橋さんの草笛演奏は、僕を小諸の旅の思い出に誘いました。―― 懐古園という場所には、観光客に美しい笛を吹いてくれる自動装置があります。それは草笛演奏の創始者、あるお坊さんが演奏した「千曲川旅情」を記念するために設置されたものだそうです。その曲を聞きたい人は、装置のボタンを押せば、自動的に美しいメロディが流れてくるのです。 ここで高橋さんが演奏した曲はまさにその曲だったのです。たった一枚の葉っぱが、演奏家の口の中でりっぱな楽器に変身し、そこから流れてくるメロディが人々に大自然の魅力を感じさせるのです。 しかも彼女は南京大学のキャンパスの中で、日本から持ってきた葉っぱより、もっと演奏に適する葉っぱを見つけたと言ったのです。さすが専門の演奏家、キャンパスを一回りするだけですぐ演奏に適する「楽器」を見つけてしまうのですね! 会長の紹介によると、高橋さんは日本でもトップにある草笛演奏家だそうです。僕もまさにそうだと思いました。 浅間山と千曲川は美しく、そこを流れている水もまた美しいのです。そこの山と水が、今ここにいる日本の人々を育んだのです。 島崎藤村の「破戒」も「千曲川旅情」も、そしてその草笛も、すべては小諸の山と水なしには語られないものです。すべては小諸の人々なくしては生み育まれることはなかったでしょう。 そして今、この地には日中民間交流の成果が着実に実っているのです。
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留学录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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