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いざこざから逃げる

作者:胡斐  来源:贯通论坛   更新:2004-7-9 11:07:00  点击:  切换到繁體中文

 

中国では、開放改革政策後まもなく、国内外の収入差があまりに大きくなったため、諸処の外交事務機関は、だんだん利益分配の役割を担うようになっていきました。
  もちろんその利益分配を巡って、激しい悶着が起こることも多くなってきたのです。外事機関はまさにその矢面に立たされていると言ってよいでしょう。
  ですから、外事機関で働いている人間は、仕事の関係で思いがけない得をしたり、権力争いの犠牲者になったりするという運命に、必然的に置かれているのです。
  
  大学卒業後、僕は母校――ある地方大学の外事処に就職しました。そこで思いもよらない争いに巻き込まれて、官僚や企業家、そして学者の普段見られないもう一つの顔を拝見させてもらうことになったのです。
  彼らが利益や権力に直面したときの顔は、あまりに醜く、結局僕はそこから逃げ出す決心をすることになったのです。
  
  僕がまだ大学三年生のとき、学校は外国人の短期留学生を受け入れることにしました。一期目の留学生は、日本で不動産業をしているという60歳くらいの老人でした。名前は一万田さんです。
  彼は日本の某有名大学の卒業生だそうです。来中の本当の目的は、同窓生(昔日本に留学に行った中国人同窓生のこと)と再会することでした。
  彼の留学生活はとても順調で、何人かの同窓生と再会することもでき、とても楽しい短期留学であったということでした。彼はこの土地に愛着を抱き始めたのです。
  
  一万田さんは日本に帰ってから、自分の人脈を使って、日本のある私立大学と僕の母校との間に交流関係を築くために、積極的に働きかけたのです。
  僕が母校に就職したその年、ちょうど日本側の大学が、代表団を派遣して母校に訪問にくるところでした。僕のようなヒラの通訳者は、しばらくの間目が回るほど忙しくて、てんてこ舞いでした。
  当時、母校のトップは人事調整が終わったばかりで、校長と書記(党や青年団などの組織における責任者のこと)はみんな就任してから一年しか経たない人ばかりでした。
  その時、僕の恩師の一人は、副校長の座についていたのです。 
  煙草
 代表団が訪問に来たとき、一万田さんも仲介役として一緒に来ていました。僕は付き添いの通訳として彼についていろんな所に遊びに行ったのです。もちろんお酒も思いきり飲みました。
  田舎少年の僕は、突然通訳になったものですから、礼儀も行き届かず、しかもよくタバコをくわえ、敬語にも慣れていませんでした。しかし幸いなことに、彼が僕を咎めることはありませんでした。
  
  翌年、こちらの教授の代表団が日本に訪問に行く番になりました。でもそのとき、新任の書記と校長の間ですでに分裂が生じていたのです。
  書記は共産党幹部出身なので、仕事をする時は、疾風迅雷、思い切り仕事をやり遂げるのを好みます。一方、校長は学者出身なので、確実に一歩一歩仕事をこなしていくのが彼のやり方です。
  二人はそれぞれ自分の勢力圏を作り、それに伴い学内も二つの陣営に分かれ、それが少しずつ表面化してきたのです。 
 今回の代表団は、書記が引率し、それに副校長、外事処長と通訳を加えた合計4人の団体でした。一行4人は、日本で7~8日間滞在し、訪問も成功したので、みんな喜んで帰国しました。
   
  代表団が帰ってきてまもなく、一万田さんはその後を追って中国にやってきました。書記一行は、日本に滞在していたとき、中国側の経費を節約するために、一万田さんは彼らを自宅に泊まらせたそうです。
  ですから代表団は、中国にきた一万田さんを、そのお礼として厚くもてなしたのです。そもそも民間人の一万田さんに、無料で大学外事招待所に泊まってもらうということで、もう十分恩返しも済んだでしょうに、代表団のメンバー達は、まだ気が済まないらしく、外事処の経費で5、6百元くらいの純金の物を一万田さんにプレゼントしたのです。
 僕は彼の接待には参加しませんでしたが、プレゼントしたその日、あいにくほかの通訳がいなかったので、僕が臨時通訳をすることになったのです。
 3人の代表団メンバーに僕が加わり、4人は恭しく一万田さんに感謝の意を示したのです。
 純金プレゼント
 その後まもなく、校長一派は、書記の訪日中における行動に疑いを持ち、しかもすでにその疑惑を上の機関に報告したというのです。
 上から、今回の訪日の経緯を調査するように命令が下されました。そうして外事処は真っ先に調査される対象となってしまったのです。
 まず外事処の財政から取り調べが始まりました。校長の本意は今回の調査を通して、書記の弱みを握りたいということにあったのですが、ところが、書記はお金のことにはまったく関わっておらず、全部外事処長が管理していたのでした。
 結局、「犯人」になりそうな人は、校長派の外事処長でした。また「犯行」とはすなわち、一万田さんへの純金のプレゼントそのものだったのです。
  
 ある夜、もうすでに9時を回ったころ、母さんが僕宛に電話があると言ってきました。僕は受話器を取ると、電話の向こうから外事処長の慌てた声が聞こえてきました。

 処長:「*さん、ちょっとお願いがあるんだけど……。」
  (えっ?処長が僕に?変だな…。)と僕は思いながら処長の次の言葉を待っていました。
 処長:「この前一万田さんにプレゼントしたときのことをまだ覚えているかい?」
 僕:「覚えています。」でも、心の中で(そのとき、あなたもいたじゃない!なぜわざわざ僕に聞くの!?)と呟く僕…。
 
 僕は自分の覚えているだけのことをすべて彼に伝えました。
 処長:「君は今言ったことを証明書として書いてくれるかな。」
 「はい。」と返事した僕は、(一体何に使うのだろう?)と怪訝に思わずにはいられませんでした。
 処長:「今からすぐ君のところにいくから、待っていてよ。」

 処長はやってきました。彼から、代表団のほかのメンバーはみんなでプレゼントしようと決めたことを否認して、処長一人のせいにしたので、結局彼だけが犯人扱いされてしまったということを聞きました。
 正義の怒りが僕を促し、僕はさっそくその日のことを詳しく書いて、最後に自分の名前をサインして、外事処長に渡しました。彼は感謝の気持ちをいっぱいに示しながら帰っていきました。
  
 一週間後、僕が就職する際に大変お世話になったある先生が、僕のところにやってきました。最初、彼は僕といろいろな世間話をしていましたが、途中で急に、外事処長が僕に何か頼みにきたんじゃないかと聞きだしたのです。
 僕は正直にその夜のことを先生に話しました。彼はそれを聞いてしばらく考えてから、僕にこういいました。「*さん、君の就職の際に副校長と書記にはかなりお世話になったのに、証明書を書くなんてあまり良い事じゃないんじゃないかな。」と。
 僕はそれを聞いて、これからどうすればいいか、とても戸惑ってしまいました。一方で外事処長は人柄もとても良い人だし、仕事上で僕を多いに支持してくれた、もう一方の恩人なのです。
 すると先生はいいました。「別に君を困らせようって訳じゃないんだよ、君にどちらにも身を寄せないで欲しいというだけさ。」と。
 僕は先生の言葉の意味を理解しました。「どちらにも身を寄せない」ということは、つまり僕に証明書を撤回させるということなのです。
 結局僕は先生にまたプレゼントの詳細について一切知りませんという証明書を書くことを承諾してしまったのです。
  
 その出来事に巻き込まれてからというもの、僕はとうとうすっかり自分のことがイヤになってしまい、ひどい自己嫌悪に陥ってしまいました。早くそこから逃げ出したいという一心だけでした。
 ちょうど一万田さんがまた中国にきていると聞いたので、彼に僕が日本に留学に行く際の身元保証人になってくれないかと頼みに行ってみました。
 しかし一万田さんは、それをきっぱり断りました。さらに普段のニコニコ顔を、見たことのない険しい表情に変えて僕にいいました。「君、勝手に他人にお願いとか、頼み事とかを言わないでちょうだいよ。日本人はそういうことはしないんですよ!」と……。
 当時、僕はまだ日本人の処世術についてまったく知らなかったし、「身元保証人」の責任がどれぐらい重いかについてもまったく理解していなかったのです。ですから、一万田さんは頼みにくい人なんだろうと思いました。
 それに彼の話から、僕のような地位のない人間は彼に頼む資格すらないというニュアンスをも読み取ったのです。結局僕は彼にお礼を言ってその場を後にするしかありませんでした。
  
 その年、僕は県外の某大学院の院生に受かり、母校を離れることになりました。またそれから数年後、とうとう僕は日本に留学にやってきました。
 来日して初めて、日本で他人の身柄を保証するということは、どれだけ大きな責任を負わなければならないかということを知ったのです。
 まして、当時の中国からきた人の収入は非常に低いので、保証人になる人はその人の人柄だけでなく、経済上の保証までしてあげなければならなかったのです。
 万が一の場合は、保証人は保証している人の債務まで代わりに返済してあげなければなりません。この面から物事を考えれば、当初一万田さんが僕の頼みを断ったことは十分理解することができるのです。
  
 ところが一方で、一万田さんは中国で彼の商売を世話できる上層の幹部たちの子女に対しては、自ら進んで彼らの保証人になってあげたり、彼らの日本での生活を世話してあげたこともあったのです。一万田さんだけではなく、多くの日本人はそうしているのです。
 そうした現象は「友好」の副産物といってもよいでしょう。それは権力と金銭との取引なのです。僕の知っている日本の某大学教授さえ、かつて彼が中国某省委秘書長(省の総務長のこと)の専用車に乗ったことがあるということを言うときは、たちまち得意満面になるのです。
 
  僕は、日本にきてから一万田さんに会う機会もありました。日本での彼は、中国での大物ぶりも影をひそめ、すっかりごく普通の、節約好きなおじいさんになってしまっていました。
 彼は財産が少しあるとはいえ、富豪といえるほどではないようです。近所でも彼を知っている人は少ないでしょう。今考えれば、彼はたぶん自己実現のために何度も中国に行ったのでしょう。
 すべては僕の個人的な推測ではありますけどね――。


 

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