それは、4年前の冬のある日、国立市にある一橋大学に研究資料を取りに行った途中のことです。
夕方5時ごろ、空から雪がちらほら降り出しました。僕は最初、これぐらいの雪ならと、気に留めることもなかったのですが、夜7時半、大学を出て家に帰ろうとふと見ると、地面にはもう十数センチもの雪が積もっていることに気づいたのです。
冷たくて潤いのある空気を吸いながら、ザクザクと柔らかい雪を踏み、また無音で舞い降りてくる雪を見て、とても気分爽快でした。
国立駅に着いた時、ちょうど前の電車が駅を出たところでした。仕方なく、しばらく待ってから、僕は次に入ってきた電車に乗りました。
ところが、電車はなかなか動き出す気配がありません。まもなく、大雪が原因で前の電車が時間通りに到着できず、全ての電車の発車時間が遅れている、という車内アナウンスが流れてきたのです。
半時間後、ようやく電車がガタン…と動き出しはしたものの、そのスピードはなかなか普段通りに行きません。いつもなら2分もすれば到着する距離も、その日は30分も掛かってしまいました。
西国分寺で乗り換えて、さっきの電車のように、普段より3倍の時間をかけて僕を目的地に送ってくれたのです。
そうこうしてやっと北朝霞に辿り着きました。でも家まではまだ半時間の電車旅があるのです。先ほどの良い気分はとっくに消え去り、僕は人込みをすり抜け、東武線の駅に向かって猛スピードで走って行きました。
運良くちょうど駅には一本の電車が止まっていましたが、中はすし詰め状態でした。それでも僕は必死に体を中に詰め込みました。
しかしやがてアナウンスが流れてきました。「前方が見えないので、発車するまでもうしばらくお待ちください」――。
しばらくしてまたアナウンスが入りました。今度は結局大雪のせいで電車が発車できない、ということでした。それを聞くと、車内は途端にわっと乱れてしまったのです。
大半の乗客は争って外に押し出て、駅から出て行ってしまいましたが、僕はやっぱり希望を捨てられずに、車内で待つことにしました。しかし、待っても待っても電車はびくともしません。車内アナウンスも車掌さんたちの騒がしい議論になってしまいました。
僕がホームを出ると、駅員室の窓のところに人垣が出来ていました。担当の駅員が電話で上の人と何か連絡しているようで、部屋の外にも何人かの駅員が、乗客に必死に事情を説明しながら乗り換えの切符を配っていました。
でもその時すでに、どの電車も同様に全て止まってしまっていたのです。ですから駅員たちがいくら説明しても、乗客の怒りを抑えることは出来ません。人の声とアナウンスの声が混じり、駅はとても騒がしくなっていました。
雪はますますひどくなるばかり。駅のアナウンスによれば、前方の車線に電車が一杯詰まっているので、このまま続けば、事故が発生する可能性が大きくなるから、全線運行止めになったらしいということでした。
東武線は十分なタクシーとバスを集められないようで、組合の代表が、わざとらしくアナウンスのマイクを通して議論しながら、しかもしばしば乗客の安全のために、というセリフを忘れることなく弁解を続けていました。
結局、電車がいつ再開するかはっきりとしないまま、ずっと交渉中という言葉が繰り返されました。その一見思いやりありげなアナウンスはまるでお芝居のようで、責任の所在について、みんな知らないふりをしているように思えました。辛いのは依然、乗客です。
家に電話しなくちゃと、ふと僕は気づきました。しかし公衆電話の前には、もう長い長い列が三列も並んでいました。電話を諦めてトイレに行くと、また長い長い列でした。男性トイレは女性に占領されていて、男性達は仕方なくどこかの隅っこで用を済ませていました。
気の向くまま駅の周りを歩いているうち、突然向こうから歩いてきた二人が僕の目に入りました。その二人は、僕の同級生と大学の某教授でした。僕はさっそく二人を迎えに飛んで行きました。
二人も、こんなところで会うなんて、と大変喜んでいました。やはり、「同在異郷為異客」(同じ境遇にある人と出会ったときの感慨の言葉)ですね。
彼らはある学会を終え、出てきたところだということです。そもそも大雪なので、学会後の宴会もあまりお酒を飲まず、早く家に帰ろうとしたのに、こんな目に遭うとは思わなかったと言っていました。
ひどい大雪の中、僕と同級生は、年を取った教授がこんな厳しい寒さに耐えられるのだろうかと心配になりました。しかしこんな時間、こんな場所で、良い解決方法も出てきません。
タクシーはもう途絶えていたにもかかわらず、タクシー乗り場にはたくさんの人がそこで根気強く待っていました。
近くの安い旅館はすでに満員で、高いホテルにするのは、またもったいない気がします。どうしようと困っていたとき、僕は電車の中に暖房が入っていることを思い出したのです。
もしいま電車に空いた席があれば、暖房もあることだし、そこで一晩過ごしても悪くはないと思いました。そうして僕達は教授を連れて、さっき僕が乗っていた車両に向かったのです。
幸い僕の座っていた席はまだ空いており、教授はこの時もうすでに疲れ果てていたようで、遠慮することなく座り込んでしまったのでした。
ひとまず教授を落ち着かせると、同級生は駅の近くに住んでいる友達のことを思い出しました。もうこんな状況なのだから試して見ないと分からないと思い、二人は泊まるところを借りられないか聞いてみることにしました。
しばらく夜道を歩き、ようやくその友達の家にたどり着きました。友達はカップラーメンを用意してくれたり、お酒を注いでくれたりしてとても親切に招待してくれました。
そうしてお腹が一杯になり、体にもだんだん温もりが戻ると、それにつれて遠慮も回復したようです。もう夜も12時を過ぎた頃で、これ以上お邪魔したら迷惑だと思い、僕ら二人は友達の引き止めを断り、駅に戻ることにしたのです。
車内に戻ると、そこで居眠りをしていた教授を見つけました。その時の教授は平素の風采を無くし、すっかり普通の老人の顔になっていました。僕が途中で買ったお弁当と熱いコーヒーを教授に渡すと、彼は感激で一杯の様子でした。
僕ら二人は車内にしばらくいましたが、またお腹がぐうぐうと鳴り始めました。そこで二人は、駅前のコンビニに買い物に行くことにしました。駅前には二つのコンビニがあり、いずれも満員状態でした。
店内に入ると、そこには30~40人くらいの人がいました。立つ人もいましたが、地面に思い切り座り込んでいる人もいます。
食品棚はもう空っぽに近い状態になっていて、店員はお湯を沸かしたり、客のカップラーメンにお湯を入れたりするのにてんてこ舞いでした。今夜のコンビニは大もうけでしょうね。
と、僕が思っていると、突然店内が騒がしくなりました。ある茶パツの若者が、顔つきのおかしい人と喧嘩し始めたのです。
でも茶パツは殴る一方、相手は打たれるばかりで、やり返す気はまるでないようです。店員は慌てて店を出て、まもなく警官を連れてきました。でも警官が店に入ったとき、茶パツはもう殴るのを止めていたのです。
逞しい体格の警官は、店に入ってからずっと茶パツに目をつけ、茶パツもその目つきを意識していたのですが、知らないふりをしていました。
警官は如何ともしがたいジレンマに陥り、店の真中に立ち尽くすしかありません。でもじっと見つめられている茶パツはとうとう耐えられなくなり、警官に挑発的に言いました。
茶パツ:「なぜ俺をずっと見つめてるんですか?俺、何か悪い事した?」
警察:「お前が悪い事をしたと、俺が言ったか?」
茶パツ:「じゃ、なぜじろじろ俺を見つめるの?他人に見つめられるのがいやだから、早く出て行けよ。邪魔になるからさ。」
場がとても気まずくなりましたが、でも警官は一歩も離れようとしませんでした。
僕ら二人は、カップラーメンを食べながら、この小さな「芝居」を見て、再び駅に戻りました。教授はまだ眠っているようです。
車内でしゃがんだり立ったりしているうちに、時間が少しずつ流れていきました。どれくらい時が経ったかは分かりませんが、ようやく車内に運転再開のアナウンスが流れ始めたのです。
翌朝4時、電車がやっと動き出しました。走ったり止まったりしてようやく1時間後、教授の降りる駅に着きました。三人が別れた時のあの「お疲れ様でした。」という一言は、いつもよりはるかに感慨深いものでした。