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中日観念の差

作者:羅ト  来源:贯通论坛   更新:2004-7-9 11:15:00  点击:  切换到繁體中文

 

 
3つの国 
ある日、私は仕事先の日本人女性同僚と、某中国人女性が書いた国際結婚に関する記事について議論しました。 投稿の内容は、日本に嫁いできたフィリピン人女性たちのことでした。
 私はその記事に特に違和感を抱きませんでしたが、この同僚は
色々な疑問を抱いたようです。

 彼女はこう言いました。「勝手に記事に書かれてしまったフィリピン人女性たちが可哀相だと思うし、この文章を書いた人のことも悲しいと思いますよ。」と。
 また、ホステスとして働くフィリピン人女性について彼女はこう続けました。
 フィリピンの国民収入は比較的低いので、文章の中の女性たちが日本に来てお金を稼がなくてはいけないと思う気持ちは理解できるし、フィリピン女性の性に対する態度が、比較的オープンで軽いのは、かつてフィリピンはアメリカに占領されたこともあるし、そのせいではないかと思う、といったことでした。
 ですからフィリピン人女性が日本でスナックのホステスをすることは、必ずしも悪いことだとは言えないというのが、同僚の考えでした。
 また、この文章を書いた中国人女性が、フィリピン人女性とお互いを尊重し合い、良い人間関係を築くことができずに対立してしまい、さらにこういう文章を書いて投稿したということについて、悲しいことだと思ったようです。

 また、「バレンタインデーに、フィリピン人のパートたちが会社の男性社員に義理チョコを送ったとしても、それで男性社員の自尊心を満足させている訳じゃないし、日本人女性でも
同様にする人はたくさんいる
でしょう。
 義理チョコは単なる一つの習慣であって、裏に特別な意味はないんですよ。“郷に入っては郷に従え”という言葉があるけど、それを実践するフィリピン人女性を責めることはできないと思いますよ。
 書いた人はあなたの友達でしょう?彼女に伝えて下さい。フィリピン人女性たちに敵意を抱かないで、みんなで友達になった方がいいんじゃないですかって。」と彼女はいいました。

 さらに同僚は、近代日本文学者だった太宰治の小説『晩年』の中のセリフを引用しました。主人公の母親が、娘に諭した言葉の一節です。「お前は器量が悪いから、愛敬だけでも良くなさい。お前は体が弱いから、心だけでも良くなさい。お前はウソが上手いから、行いだけでも良くなさい。」――
 そして彼女はこう付け加えました。「記事を読んでこの言葉を思い出しました。
周りと良い人間関係を築くこと
は、とても大切なことだと思いますよ。」と。

 彼女の言葉から、中国人と日本人の間、
人の行為を見るときの見方の違い
が見えてきたのです。たとえば、スナックのホステスになることは、自分の色気を使ってカネを稼ぐことですが、日本人から見ると、それはそれほど面目のないことではないと思っているようです。一部の日本人の話によれば、それはぜんぜん気にする必要がないことなのだそうです。
 しかし中国人と中国系の人々の持つ伝統意識の中では、それは受け入れがたいことです。少なくとも、人の前で言えることではないのです。
 ところがもしここで私が、スナックで働くことが中国の伝統から見るととても恥ずべきことだと言ったならば、不満に思う日本人がたくさん出てくることでしょう。私が水商売とそれに従事する人間を軽蔑していると言われるのでしょうね。

 中国人の常識によれば、人は自分の能力によって生活していくべきであり、
他人に媚びる必要はない
のです。企業は人を雇うとき、その人の能力を利用するのであって、人を評価するときも、能力で評価するのです。
 口が上手いか、人付き合いが上手いかどうかは評価の対象にならないのです。それどころか、中国では口の上手い人は逆に危険な存在だと思われてしまうのです。
 ですから中国の被雇用者は、純粋に自分の能力を必要とされて、会社に雇われていると自然に思うのです。中国人は習慣的に、仕事を怠けて上司に媚びることばかり考えている人のことをあまり好まないのです。

 日本人は人を雇うとき、その人の能力をあまり重視せず、どんな人であっても、真面目に働けば同じ成果が出てくると思っているようです。ですから日本の会社はいつまでも、社員が会社という集団の中の均等で小さな分子の一つに過ぎないのです。
 仕事に対する態度を重視し、頭が悪いことは責められないのですが、能力があっても仕事する態度が不真面目であれば、あるいは他人と協力することが上手く出来なければ、叱られるのです。
 それはいいのですが、個人の能力によって得られた成果であっても、みんなは個人の能力と認めず、会社という
集団全体の結果
であるとしか認識しないのです。

 ですから、日本の社員にとって、優しいこと、付き合い上手であること、上司に従順であること、つまり
協調精神
といったものが最も必要とされる性質なのです。
 会社の経営が順調でさえあれば、頭が少し悪くても真面目に仕事をする人なら、首になることはないでしょう。その反対に、賢い人だけれど仕事の態度が不真面目であるならば、きっと会社にいられなくなる日が来るでしょう。
 たいていの日本人は、会社で人に頭を下げない、人付き合いが上手くない人のことを、可哀相な人と思っているようです。

 人付き合いといえば、日本人は長い物に巻かれることが当たり前のことのように思っています。たとえば多くの人が、バレンタインデーに女性社員が男性社員に義理チョコをプレゼントすることは
不合理だ
と思っていても、結局仕方なくみんなのように送ってしまうのです。
 普段お世話になっている人に、季節ごとにお礼を送ったり挨拶の葉書を出したりすることをおかしいと思う人はいないでしょう。お礼を受け取った人は、当然来年も引き続き世話してくれるだろうと、送った方は確信するわけです。
 そのお礼とは形式的なもので、スーパーなどでも便宜的に用意されています。安いのは千円、2千円で、高いのは1万円くらいです。

 中国では、人付き合いについて、
「無功不受禄」
(功なくして禄を受けない)という言い方があります。人のために何もしていない、あるいはその人の頼みを引き受けたくない時は、差し出されたお礼は受け取らないものです。
 それと同様に、人に頼みがなければ普通は容易にお礼を出さないのです。お礼は、たいてい親戚や親友の間で、しかもお正月の時にしか、出されないものです。
 中国の伝統的な考えでは、人は節操を失ってはいけないのです。「不向権貴低頭」(権威の前で絶対頭を下げないこと)、「不為五斗米折腰」(食のために人に乞うことを絶対しないこと)、つまり一時の利益や安易のために、自分を屈する人は可哀相だという考えです。
 同じ会社で、上司にお礼を送る人は上司にへつらう人だと思われるし、仕事のとき上司に色気を売る人は、軽い人だと思われるのです。

 この同僚の話は、私にいろいろな事を考えさせました。すなわち、違う文化背景を持っている人の間で、
一部の問題についての見方の違い
というものは、容易に変えられないものなのだと実感したのです。
 ある国で常識とされることは、別の国で常識じゃないことになってしまうのです。ですから、常に相手の立場と考えを
理解しようとする心構え
はとても重要だと痛感しました。
 国と国の交流が深まりつつある今日、これまでの国間の誤解は今後解消されるだろう、あるいはもうすでに解消されつつあります。
 相手を理解することを拒絶してしまうことはとても愚かなことで、ただ一時の誤解が元でお互いを敵視し、さらにその敵意の情緒を煽ることは、なおさら愚の骨頂とも言えるのでしょうね。


 

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