中国国内にいたとき、日本から年配の観光客が団体旅行で来るのをよく町で見かけたものです。彼らはみな元気そうで、カジュアルな服装をし、興味津々でガイドさんの後について中国の山水を遊歴している姿が印象的でした。
彼らの幸せいっぱいな顔を見るたびに、さすが先進国の日本だと羨ましく思わずにはいられなかったものです。彼らのように、中国の親たちも、老後にあんな快適な海外旅行ができたら良いのにと思いました。
「全民皆年金」(全国民に年金保障がある)という言葉は日本社会の高水準の福利と発達した医療保障制度を表すのに最もふさわしい言葉です。
サラリーマンであれ、自営業者であれ、農民であれ、国家公務員であれ、みんなそれぞれ規定どおりに25年以上の保険金を支払えば、65歳以降は(原則として年金支給が開始される年齢です。具体的な事情によって60歳あるいは70歳の変更幅が設けられているそうです。)国から一定額の年金支給をもらって老後の生活を保障してもらいます。
それと同時に、殆どの人は医療健康保険に加入しているので、こうして日本の年寄りは行き届いた各種のサービスと治療を受けるだけでなく、子供に頼らずに独立して生活していけるようになるのだと思われます。
その意味では、日本人は安心して天国に行くまで生きていけるだろうし、また一部の先進国のようにお金がなければ治療してもらえないといった、心を痛める出来事は生じないだろうと思っていました。
しかし、近年老人の医療問題はますます深刻な社会問題となりつつあります。これは日本の老年人口が急増し、治療を受ける老人が急増したことにより、これまでの医療施設や医療人員がだんだん社会の需要を満たせなくなった結果です。
それに日本の家庭の構造も変化しています。一人暮らしをする老人は日々増えていて、お金があっても面倒を見てくれる人はいないという局面に陥っています。
これに対して、政府が「介護」制度に乗り出しました。「介護」制度は生活上で他人に頼る度合いによって細分化されていて、それぞれ違う対策を取るというものです。
こうして、「老人ホーム」、あるいは直接に老人の自宅に世話をしに行くボランティアが続出してきました。また介護を専門職とした「介護士」も生まれてきたわけです。介護専門の介護士になるための検定試験は一時ホットトピックとなっていたこともあります。
しかし、それでも多くの感心と注目が注がれている老人達の生活は、実に思ったほど改善されたものではありません。「老人ホーム」の冷たい病床の上に寝ている老人たちは、体の面倒をある程度見てはもらいますが、孤独感や空しさなどの精神上の問題は解決されていません。
かつて日本人のルームメートが老人ホームでボランティアをやっていた時の出来事をご紹介しましょう。そのとき、彼女は不治の病を抱えているお爺ちゃんの面倒を見ていました。
老人の親族にはあまり見舞う人がいないようで、ルームメートはお爺ちゃんに少なくとも人生の最後の時くらいは、楽しく過ごさせてあげたいと思い、毎日放課後に病院に行っては深夜までお爺ちゃんの面倒を見ていたそうです。
ぐったりとした体を引きずって戻ってくる彼女を見るたび、「大丈夫?体に気をつけてね。」と、心配していましたが、彼女はいつも微笑みながら、「ちょっぴり疲れているけど、でも幸せよ。」と言っていました。
しかし、ある日、病院から戻ってきた彼女にいつもの満足した笑顔がありませんでした。原因を聞いたところ、心のやさしい彼女は、突然泣き出したのです。
最初はお爺ちゃんがこの世を去ったのだろうかと思いましたが、彼女から実情を聞いてみると、驚きを隠せませんでした。
実は、彼女はお爺ちゃんを世話しているこの頃、かつて思ったこともないような醜い出来事を見てしまっていたのです。病院のスタッフは人々に思われているような愛情に溢れる人たちではなかったのです。
一部の看護婦は病状の重い老人たちが話ができないことをいいことに、彼らへの世話を怠ったりして、至っては虐待の現象も起きてしまっていたのです。
さらに、看護婦の悪徳を庇う看護婦長の偽善に、とうとう黙っていられなくなった彼女は、看護婦長と口論をしてしまったのだそうです。最悪のことに、看護婦長は自分に道理がないにもかかわらず、権利を濫用して彼女の病院でのボランティア資格を没収したのです。
こうして彼女はお爺ちゃんの最後の日々に付き添うことができなくなったことで悔しい涙を流したわけです。
これが我々の目に映った「幸せ」な日本の老人たちの実生活の一側面です。もちろん、いくら発達した社会であっても、いくら完備した保障制度であっても、それらは単に人々が安楽な生活を享受できる一要件にすぎません。
完備されたハードのみならず、それと相応したソフトのサービスも必要です。ですから、「老吾老、以及人之老」(自分の親を尊敬することからすべての年配の人を尊敬することにまでいたる、ということ)のような理想社会を作るには、お金だけあっても、なかなか実現できないものなのでしょうね。