日本は中国の隣国の一つであり、かつてアジア経済の代名詞とまで言われていたこともあります。しかし現在の日本経済は、バブル崩壊後の長期景気低迷の時期に陥ってます。
一方で中国経済が飛躍的に発展している時期と言われていますが、しかし、日本の科学技術や管理方法及び各種の先進的な理念などは、依然として多くの中国の若者に日本留学を喚起させるほど魅力的なものです。
こうして多くの中国人が日本にやってきますが、「日本人が中国人を差別している。」という話をよく耳にします。
しばらく日本での暮らしを経験し、ある程度日本社会に溶け込んだ後の中国人は、どのような心情でそのことを見ているのでしょうか?
日本にきた当初、僕はすぐに仕事を探しませんでした。というのも、手元にまだ少し中国から持ってきたお金がありましたし、日本語をしっかり学んでから仕事を探したいと思っていたからです。
でも、さすがに東京の物価は高く、手元にあったお金はあっという間に消えてしまいました。三ヶ月後、僕は仕事を探し始めました。
僕の日本における「無から有へ」の生活がここから始まります。生活費だけでなく、今後の学費も自分の手で稼がなくてはならないので、お金の大切さをかつてない程、しみじみと感じました。
日本語に問題がなかったため、まもなく僕はある工場の仕事(アルバイト)に就くことができました。出勤時間は夜の8時です。
工場とはいっても、東京都内の各百貨店に、仕入れた商品を配送する運輸会社だったので、生産ラインに沿って何かをするというような仕事内容ではありませんでした。僕の仕事は、商品を店やブランドごとに分類することです。
工場は駅からかなり離れたところにあるので、毎日駅から片道30分ほど工場送迎バスに乗らなければなりません。
仕事は商品を包装箱に入れるだけのことなのでとても簡単です。ただし、夜勤なので忍耐力との勝負です。最初の頃、仕事はとても順調で、僕の生活は学校と工場の往復だけの単純なものでした。
ある日の夕方、僕が駅でバスを待っていると、遠くからバスが来るのが見えました。バスに乗ろうとしたその時、あることに気付きました。「あれっ!人が変わった?」――。
今日迎えに来た人はいつもの人ではなくて、知らない顔の人です。バスが走りはじめると、一番前の席に座っているその日本人が、こちらに向いて言いました。
「こんにちは。Mと言います。今日からアルバイトの送迎は僕の担当となりました。どうぞよろしくお願いします。」
「どうぞよろしくお願いします。」と、僕は返しました。
お互いに簡単な挨拶を交したのですが、この言葉短かな中年男性に対して、僕はなんだか変な胸騒ぎを感じたのです…。
翌朝、僕とほかの仲間たちは疲れた体を引きずって仕事現場から出て、送迎バスに乗ろうとしました。とそのとき、Mさんが突然車から降りてきて、バスのドアの前に立ちはだかりました。
「あれっ、どうして?」と思い、みんな彼を不思議そうに見ています。
「すみません、みなさん、今日からバスに乗る前に、自発的に各自の私物をチェックさせて頂きたいんですが。」Mさんは真剣な顔をして話を続けました。「送迎バスの管理者として、みなさんのご協力をお願いします。」
「もう自分でチェックしました。落し物はないので、バスに乗っても良いですか?」と、誰かが言いました。
「でも、やはりみなさんのために、もう一度見させてください。」と、Mさんは態度を固めています。
一瞬、彼が強引に我々の私物を検査しようとしているのがみんな分かったので、人の群れの中でどっと騒ぎが起こりました。
「いつからその規則があったんですか、なぜ僕らは知らなかったんですか?」
「これは人権侵害です!」
「だめだめ、それには応じられません。会社にはそんな規則はないでしょう。そもそも無理な要求じゃないですか!」
みんなあれこれ抗議しています。
しかし、Mさんの反応は意外なものでした。彼は目の前の憤慨に圧倒されるどころか、笑いながらみんなの反応を見ているばかりです。まるで彼は今の様子をぜんぜん気にしていないようです。
ただ、みんなに何と言われても、彼は少しもバスのドアから離れようとしません。時間が無駄に流れていき、そろそろ9時になろうとしていました。もうこれ以上は耐えられません。普段ならこの時間には学校が始まっているというのに!また、昼間のバイトの人もいて、遅刻したら大変です。
するとちょうど、僕を採用してくれた総合管理部の課長が遠くからやってくるのが見えました。「これでやっと問題を解決する人がきた!」と思い、僕は周りの人に言いました。
「あの人に是非を判定してもらいましょう。彼は総合管理部の課長ですから、Mさんの上司に違いありません。」
すると、みんな課長に公正な意見を求めようと、さっそく課長の前に行き、あれこれ今のことを述べました。課長の傍らに背筋をまっすぐにして立っているMさんを見て、彼が確かに課長の部下だということが分かったのです。
課長は僕らの話しを聞いた後、Mさんの前に行って次のように言いました。
「どういう訳?これくらいのことをまだ解決してないの?もう30分も過ぎたよ、まだ彼らに分かってもらってない?」
「はい、分かりました。」Mさんは返事をしながら、みんなに話し出しました。
「みなさん、ちょっと静かにしてください。最近、社内で相次いで紛失事件がありました。私達の調査結果によると、紛失した物品はみなさんの担当したセクションのものです。
ですから、中国人の方が犯行をしたという可能性も否定できません。なので、念のためですが、仕事が終わってから、みなさんの所持品をチェックさせてもらうことにしました。
やり方ですが、みなさんが自らご自分の鞄をあけて中味を見せるようにしてください。問題のなかった人からバスに乗ってください。」
「そうです。Mさんの言ったとおりです。これは会社の結論です。どうぞよろしく!」傍に立っている課長も付け加えました。
課長とMさんの言葉に、現場の人はみんな驚いて顔を見合わせるばかりです。誰も課長がそういうふうに問題を解決しようとするとは思っていませんでした。
「そのやり方は人権侵害じゃありませんか?日本の法律と矛盾しています。」と、ある中国人学生は反論しました。
「会社としては、みなさんが自ら進んでMさんのところでチェックを受けて欲しいのです。無理にみなさんの持ち物チェックを行うわけではありません。みなさんのご理解とご協力をいただきたいのです。」と課長は大きな声で言いました。
「言葉では自発的とは言っても、事実上は明らかに強行じゃないか。」と中には小声で呟いた人もいます。
「もう一度言わせてもらいます。会社は、みなさんから自発的にMさんのチェックを受けて欲しい、協力して欲しいのです。協力しない人に対しては、われわれから警察に捜査をお願いする権利があります。また契約更新の件についても、協力してくれない人については改めて考えさせてもらいます。」
課長のその言葉で、現場は突然シーンとなりました。みんなすっかり分かりました。見せたくても見せたくなくても、持ち物をMさんに見せなければならないということを。
しかも、拒否すれば労働契約の話にまで発展するのです。「どうすれば良いだろう。このことで日本人と反目し、仕事を失う必要があるだろうか?しかし仕事をやめたら今後の生活はどうする?学費はどうする?」
僕は迷いました。しばらくして二人の仲間が動揺しながらもMさんに持ち物をチェックさせました。すると、残った人もあきらめたように、相次ぎMさんのところに行きました。
「どうしよう。僕もみんなのように彼にチェックさせるか、それとも…。でもこのまま自分の尊厳を他人に踏みにじられて良いものか?‘NO!’と言うべきだろうか?」
僕は、深い思いに落ちて行きました。と、そのとき、傍に立っている仲間が、茫然自失となっている僕を軽く押しながら、「おい、やめたいのか?早く行こうぜ。」とチェックを受けに行くことを促しました。
そうです、現実は残酷です。確かに仕事のことを第一に考えなければなりません。僕には仕事をやめる余裕がないのです。
この仕事は僕が日本で生活するための支えなのです。誰を責めたら良いのでしょうか?責めたいなら、このチェックの原因を作った泥棒か、それとも弱虫の自分を責めるしかないのです。
現実的な解は、まっすぐにそこに行って、彼の目の前で自分の鞄をあけるしかないのです…。
以前、友達から日本人が中国人を差別する類の話しを聞く度に、よく怒りを覚えていました。日本人、特に中国を排斥する心理を持つ日本人に対しては怒りを感じます。でも、自分が本当にそのような事に出遭ったときは、逆に他人から聞くときほど憤慨を感じないのです。
日本にきている中国人には、多かれ少なかれ差別された経験があります。でも誰もが現実に強いられた選択肢を選ぶしかないのです。
確かに、僕らは今いろんなことに耐えています。これは生活の一部とも言えるし、人生の試練の一つとも言えます。
今は、僕の心の中で未来に対する希望を、かつてより強く感じています。将来知識を学んで帰国して、母国の発展に力を尽くしたいのです。
外国に軽蔑されないくらいにまで母国を強くして行きたいのです。それはすべての留学生に共通している希望だと、僕は思います。