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大学改革

作者:高老頭  来源:贯通论坛   更新:2004-7-2 16:14:00  点击:  切换到繁體中文

 


 大学キャンパス
 近年、日本の大学は
「改革」
で盛り上がっています。しかし、その改革の理由は実にあいまいであることが多いのです。
 日本における出生率の低下はすでに明白なことであり、20年も前から日本の大学は、「生存か消滅か」の厳しい局面に遭遇することが予想されていました。
 にもかかわらず、大学は依然昔の姿のままで、「狼がすぐそこに来ている」という緊迫感は少しも感じられません。
 
 しかし、その中でも二つの変化が目立つようになってきました。一つは
学生組織の弱体化、もう一つは教員組合の弱体化
です。
 バブル崩壊前の学生運動を担った熱血漢たちは、人生の歩みの中で十分磨かれ(丸くなってしまい)、若いときの「不平な世界を変える」という豪気はすでに消えてしまいました。
 裕福な環境の中で成長してきた新しい若い世代の大学生たちは、昔の先輩達が大きな代償を払ってやっと大学から勝ち取った権利、その大学の教授会と同じ発言権を持つという権利の意味を十分理解することなく、建設的な提案や意見を述べることができません。
 今の学生会は大学や教授会を監督する役割をすでに失ってしまったのです。いくら全国規模、あるいは地域規模の学生組織や大学院生組織といっても、実体は薄く、単に名前だけが残っているような感じになってしまったのです。

 このような中、教授会と大学はそれまでの慎ましさを密かに自嘲しながら、ゆっくりと「大学改革」を始めたのです。たとえば僕が留学している某R大学も、「改革」に乗り出しました。
 その改革とはすなわち、大学がすべての規則や校則を、大学側の都合の良い方向に変えてしまう、ということだったのです。
 たとえば昔、経済的に困っているが、勉強したいという学生を助けるために用意されていたアルバイトや仕事を無くしてしまい、専属職員やパートなどに委託するようになったのは、その一つといえるでしょう。新しい制服を着た保安会社の警備員が玄関に立ち、ここが学校か、役所か分からないほどです。
 学生にとって、自分達ができることは、ただ「改革させられる」ということだけになってしまいました。キャンパス内では、あちこち大規模な建築工事が行われていて、「改革」の雰囲気は最高に盛り上がっているかのように見えます。
 すべての部署はリストラ、効率化といった「企業経営」の原則にそって再編されているのです。しかし、問題の所在は、大学は教育機関であり、人材を育成するところであって、企業ではないという点にあると思うのです。

 この種の「改革」の第一効果は、物事がすべて、大学や教授会の主張によるものになったということです。つまり、「改革」の全過程で、学生の考えと意見がまったく考慮されていないのです。
 某R大学の経済学部で、次のような風景をよく目にします。昔、貧困学生のために作られた「副手」制度は情け容赦なく廃止され、事務室に存在した大学院生に任せる3人分の仕事も、すっかりなくなってしまいました。学生の学習生活を支えていたこれらの仕事は、教授の言いなりのパートさんに取って代わられてしまったのです。
 これについて、学生側はもちろん不満があります。しかし、学生達の声は無視されてしまうのです。

 また、もともとは本学部の大学院生から助手を募集する制度であったものが、急に本学部からではなく全国からの募集へと変更されてしまいました。学生会は反対しましたが、教授会はまたそれを無視しました。
 もし、ほかの大学も某R大学のように公開募集制度を実行するならば、学生たちにとってのチャンスは平準化されますが、これでは不公平です。
 日本全国の数ある経済学部の中でも、某R大と某著名国立大学がこの制度を採用しました。他の大学は依然本校大学院生の中から募集する制度をとっています。
 こうして、某R大学の経済学部の学生は無理やり不公平に扱われるようになったのです。

 おかしいのは、大学の経済学部の先生達は、資本主義の世界的な勝利を謳いながらも、彼らが雇用者の一人であり、資本家の代表では決してない、ということを忘れてしまっていることです。
 今の教育機関で強く主張されている「資本的論理」や「企業的論理」は、「効率第一」と「利益第一」の原則を貫く理論であり、この理論は長い間ずっと自由に、個性的に研究を行なってきた教授たちの生活方式と正反対なものです。
 しかし、教授達はその点に気付いてません。大学の中で「資本的論理」と「企業的論理」はまるで「資本」に握られている諸刃の剣のようです。
 その剣先の一つは学生に向けられ、もう一つは先生達に向けられているのです。昔の大学機関は、出資者(オーナー)が教授を制約し、教授が学生を管理し、学生が出資者と教授を監督するという仕組みを作ってバランスを取っていたのです。
 学生の支持を失った今は、教授達は出資者にとって単なる被雇用者になってしまったのです。今は学生の声が弱いから無視してしまうことができるというなら、近い将来、大学は教授会の声をも無視するようになるかもしれないでしょう。
 将来を待たなくても、今日の大学ではすでにそういったことが起こっています。たとえば広島にある大学のある教授は、大学側の意見に反対したため、一方的に解雇されてしまうという事態に陥ったそうです。それは、今だに訴訟中だそうです。

 この種の「改革」の第二効果は、徹底的な官僚化です。昔は校長室であれ、学部長室であれ、人々が自由に出入りすることが許されていました。
 大学のトップは、下の人々とコミュニケーションをスムーズに取っていたのです。それに対して、今は学部長室でさえ、オフィスの外に秘書室と受付が設けられています。
 学生は学部長に会いたいならば、まずアポイントを取っているどうかを確認されるのです。アポがなければ、帰って学部長室からの通知を待たなければなりません。
 秘書室の職員はまだしも、受付のお婆さんは規律正しく自分の責任を果たすので、学生が勝手に受付室に入ろうすると、「学校の規定により、学生がここに立ち入るのは禁止されています。」と、厳しく注意するのです。
 今の大学には、学部事務室、教務課、学生課、国際センターなど、学生のために設けられている窓口を除いて、他の部署の職員はみんな昔と違って一変してしまいました。
 長く大学で勤めている年配の職員は、まだ昔のように親切に学生と応対しますが、新顔の職員は殆ど冷たく、いつも難しい顔をしています。
 日本では大学の職員は、大企業の職員と同じように、みんな「鉄飯碗」(安定した仕事の喩え)のような安定した仕事に従事しているのです。
 ここ十数年の長い不況の中で、就職難や前途が見えない状況の後輩たちを横目に見ながら、「鉄飯碗」に従事している大学の若い職員達は、どこか鼻高々で仕事をしているように感じます。
 学会会場
 今年の5月に、僕は和歌山県での学会に出席することになりました。
 和歌山県に行く前の手続きをした際、その「日本式冷面」(本当の冷麺ではなくて、冷たい顔の喩え)を味わされたのです。 
 某R大学には、大学院生を対象に、学術研究を促進させるために設けられた制度、「学会発表奨励金制度」があります。
 この制度は、学校に認められている学会で、自分の研究成果を発表した本学の学生に、学会参加に必要な旅費や食費、会議費、そしてコピー費を全額負担するというものです。
 
 今回のトラブルは、僕が和歌山県で行われる、とある学会に参加するためにこの制度を利用しようとしたことから始まりました。
 僕がこの制度を利用するのは通算4回目となります。前の3回はすべて大学が改革される前に利用したもので、とても順調でした。
 担当の職員は、僕に手続き(申請手順)を丁寧に教えてくれました。僕は書き終えた申込表を職員に提出するだけで申請完了でした。
 全ての申請過程の中で、僕が必要とされたのは、申込表を取りに行くときと出しに行くときの2回だけでした。しかし、今回はなんと5、6回も行かされ、さらにさんざんな辛い対応をされたのでした。
 大学からお金を貰うのがますます難しくなって、「改革」の効果が確かに著しいということを痛感しました。
 
 申込表を取りに行ったとき受付の職員は、この制度をまったく知らない人間で、慌てて他の人に聞きに行きました。僕は前の経験にそって、まず学会の通知を彼女に見せたのですが、彼女はそれが何を意味するか、まるきり分からないようで、見ようともしませんでした。
 僕は必要事項を書き終えた申込表を提出しました。従来ならこれで手続き完了となるはずなのですが、突然奥からこの件に関する親分のような女性が出てきました。
 彼女は僕の出した表をちらりと一目見るなり、傲慢な口調で、「これだけではだめよ。前に掲示されている説明書をちゃんと読んで、全ての書類を揃えてからまた来てください。」と僕に言ったのです。
 僕は納得できなかったので、「どんな書類が必要ですか?」と質問したら、彼女はそれに答える気が全くないようで、ただ「帰って自分で説明書を全部読めば分かるじゃない!」と一言返してきたのです。
 その日僕は必要書類である学会の通知書を持っていなかったので、そのまま帰るしかありませんでした。
 
 帰ってからその説明書をじっくり読んでみると、会議通知書、参加費明細と領収書が要求されているのです。もともと細かい費用は、学校に申請しないで、自分で払うことに決めていたので、費用明細書と領収書は用意しなかったのです。ですから、僕の場合は会議通知書だけを出せば済むはずだったのです。
 あの職員はそうと知りもしないのに、僕の「貴重な時間を使って書いた申込書」を拒絶するなんて!彼女の態度にとても怒りを感じた僕は、すべての細かい費用を申込項目に付け加えることにしました。
 1週間後、僕は再び書類を出しに行きました。職員は依然として例の顔で、またろくに見ずに、「ダメ」と言ったのです。
 これ以上怒りを抑えきれなくなった僕は、どこがダメなのか彼女に問い詰めたのです。すると彼女は、会議参加費の郵便振込みの控えに費用明細を全部書く必要があるから、もっと他に大きな振込みの控えがあるはずだと言い張ったのです。
 なかなか進まないので、「あなたは郵便振込みを使ったことがありますか?前からずっとこの小さい控えでしたよ!」と、僕は言いました。
 約5分もの言い争いの結果、ようやく彼女はその領収書が有効だと認めました。僕は言われた通りに明細をそこに書き始めました。
 しかし、彼女はまた、そこのカウンタで書くと他人の邪魔になるから、別のどこかで書けと文句を投げてきたのです。しかし周りを見渡しても誰もいなかったので、それは明らかに嫌がらせでした。
 
 そうこうして、僕は明細を彼女に提出しました。今度は「研究科主任と専攻主任のハンコを貰ってきてください。」と言われました。彼女の文句にあきれ果てていた僕は、「また何か注意点があれば一度に吐き出してください。このように振り回されるなんて迷惑です。あなたは役人ですか?この学校の職員ではないようですね?」と、問い詰めたのです。
 僕の一連の質問に対して、彼女は申し訳なさそうな素振りちも見せず、それどころか逆に薄ら笑いを浮かべたのです。学生課の部屋には数十人の職員がいるにもかかわらず、僕の質問に関心を持つ人は誰一人としておらず、上司の人も聞こえていないような顔をしてました。皆、面倒な問題から逃れようとする態度でした。

大学キャンパス

 後日、僕は学部長秘書のところへ、研究科主任と専攻主任のハンコを貰いに行きました。学部長秘書は、本当は大学院生が大いにこの制度を利用して研究を行ったり学会で発表したりして欲しいのに、「今はこれを利用する人が少ないですね。」と、遺憾を込めて僕に言いました。
 学生課に戻ると、職員達はただちにカウンタの前に来て、僕の申込書、領収書と学会通知書を真剣にチェックし始めました。
 その後、僕は職員の指示に従い、コピー店に行き、店からサインを貰ってきて、やっと手続きが完了となりました。
 
 しかしその安堵もつかの間、数日後、学生課から一本の電話が家に入りました。これは、書類に1ヶ所訂正があり、書き換えに本人のハンコがないといけない、宿泊日数の計算が間違っているので、学生課にきて修正してください、という内容のものでした。
 僕はまたまた学生課に行きました。待っていたのはやはり彼女でした。彼女が僕に言った言葉は、「手続きを担当する人がこの2ヶ所のミスを見つけたから、電話をしました。」というものでした。彼女は、今回の修正は彼女と全く関係がないということを言いたかったのです。
 その言葉を聞いた瞬間、僕は
心の中で笑いたくなりました。
もし最初から彼女が今回のような謙虚な態度を取っていれば、こっちが怒る訳がないじゃないか、と思ったのです。
 ようやく事は正常に戻りました。それでも心の中にまだ少し、しこりが残っています。僕は某R大学に在籍してもう8年ほどになります。
 こんなに長くいる人間でも、これぐらいのことをやるのに、こんなに大変なんです。もっと年数の浅い学生は一体どうなるのでしょうね。本当に嘆かわしい状況です。


 

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