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外国の月と中国の月

作者:張阿梅  来源:贯通论坛   更新:2004-7-4 19:42:00  点击:  切换到繁體中文

 


円満の月 「外国の月は中国のより丸い」
(外国のものは中国のものより良い、という喩え)――中国ではそう言う人がたくさんいます。ですから私は長い間、自然にそんな話を多く耳にしてきたのです。
 時がたつにつれ、私はすっかりその言葉を信じてしまうようになりました。これは、たぶん大勢に合わせるという心理の表れなのでしょうね。
 「まあ、どうせ外国の月を見る機会もないだろうから、みんなに合わせることも別にそれほど悪い事ではないでしょう。外国の月が思われているほど丸くなくても、私には関係のないことだし。」と思っていた私の、その後の人生はまさに
「人生無常」
(人生は同じことの繰り返しではない)という諺そのものとなったのです。
 思いも寄らないことに、私は実際に外国の月をこの目で見ることができたのです。

 去年の12月のある日、5才の息子をつれて日本に滞在している主人に会いに行きました。主人は、かつては典型的な
大勢に傾く人
でした。一年ぶりの再会になったわけですが、きっとまた相変わらずなんだろうと思っていました。
 空港についたとき、もう日がすっかり暮れており、主人のアパートまではまだ遠いこともあって、二人は積もる話を抑えて、急いで電車に乗りました。
 2時間半ほどの電車旅を経て、ようやく主人のアパートにつきました。東京の家賃はあまりに高すぎるので、やむを得ず郊外の辺鄙な小都市に部屋を借りなくてはなりません。
 まだホームで電車を待っていた時、あいにくちょうどラッシュ・アワーの時間とぶつかってしまい、大勢の人が四方八方からホームに集まってきたのです。でも人が多いだけで、混乱にまではなりませんでした。
 
 「東京は世界で最も交通が発達している都市の一つなんだよ。この山手線はその東京でも一番混む路線の一つだ。ここでよく何本もの列車が平行して走る様子を見かけるものだよ。」と、主人は言いました。
 確かに隣の線路で、私たちの乗っている電車とすれ違って、もう一本の電車が走ってくる様子を見かけました。このような風景を生まれて初めて見て、幾分新鮮感がありました。もし自らこの目で見なければ、こんなことがあるなんて信じられなかったかもしれません。
 つい感慨に浸りながら、ふと窓の外の空を見ると、細長い三日月の姿が目に飛び込んできました。「外国の月も
別に特別でもないんだな…。
」と密かに思いました。

 日本にきてからの半月は、あちこち見物三昧の日々でした。もちろんガイド役は主人です。ある日、上野動物園に遊びに行ったのですが、景色は特にきれいなところが見つかりませんでした。
 でも道しるべがとても分かりやすく表示されていて、観光客の秩序もとても良く、そして遊覧ルートの設定が、わりに合理的で、逆行する遊園客の姿をあまり見かけなかったことが、印象的でした。
 また、パンダを見ている息子は、急に私に言いました。「ママ、ここのパンダちゃんは北京のよりきれいだね。ほら臭わないよ!」――。
 息子の無邪気な言葉を聞いた私は、笑いながら主人に言ったのです。「外国の月は中国のより丸いとよく言われているけど、今度、その話を
‘外国のパンダは中国のよりきれい’
というふうに変えたらどう?」
 主人は100%賛成した顔で「なるほど!」と頷いたのです。

 動物園からの帰りに、「時間が余ったら、あなたに通帳を作ってあげるから、銀行に寄って行こうかな。ついでに、日本の銀行の仕事ぶりを見学して、あなたの
農民銀行
(主人はいつも私の勤務している中国農業銀行を冗談で‘農民銀行’と言うのです。)の同僚を少し進歩させなくちゃいけないな。いつかそっちの農民銀行がここの銀行のようになったらいいんだけどね。」と、主人は日本をアピール!
 銀行についたとき、ちょうど午後2時でした。明るくて広い営業ホールに入った私は、まず忙しく仕事をしている銀行員たちの姿を目にしたのです。
 ホール中央部に並んでいるソファに向かっている途中、隣から銀行の職員がやってきて、「いらっしゃいませ」と親切に挨拶してくれたのです。そして、彼女は、ウェイティンググカードを取る場所を案内してくれたのです。

 カードを取って、ソファに戻った私は、まわりを見回して、確かにここのコンディションは、国内の銀行より良いと思いました。主人はまたタイミングよく日本をアピールし始めました。
 「ほら見て、ここの職員はお客様を案内するとき、いつも‘こちらへどうぞ’と言いながら、小走りに走っていくんだよ。まっ、彼らの走るのは歩くのより遅いんだけど、でもそれこそ彼らの良いサービス態度の表れなんだよ。」
 主人のこのような、いいんだか悪いんだか分からないアピールに対して、私は国内の同僚たちのために、
少し反論をしなくちゃ!
と思いました。
 「この一年余り、私達もサービス改善のために、努力してきたのよ。今のうちのサービス理念は、‘三六五八九、服務天天有’ですよ。つまり、一年365日、毎朝8時から夜9時まで、いつでも良いサービスがお客様を待っているという意味なのよ。」

 でも、主人は依然として日本ファンの姿勢を崩しませんでした。「ほら、ここの仕事コンディション、なんと快適なんだろう。そっちのような
トラの檻
じゃないだろう?(※中国の銀行には防犯用の柵が窓口についているのです。)」
 「それは仕方ないじゃない!治安が良くないことは銀行の責任じゃないでしょう?」と、真っ向から主人と対立したままの私。
 「まあまあ、落ちついて。それは客観的な原因に帰しても、日本の銀行の便利さ、一つのカードでどこでも、どの銀行でも自由に引き出しできるというのは、そっちとは比べものにならないだろう。至るところにあるATM機を見るだけでも、その便利さが分かるだろう?」と、立て板に水でしゃべっていた主人の前に、私は返す言葉すらありませんでした。

 「まだ終わらないの?!」隣の息子は、もう最初に入ったときの興味津々さを失って、これ以上待てないようでした。時計を見ると、確かにもう半時間も過ぎてしまっていました。
 けれども私の前に待っていた4、5人は、まだ動いている気配も見えません。「国内だったら、これぐらいの業務はもうとっくに終わって、こんなにお客さんを待たせることはないわよ。日本の効率って、
ただの時間潰しなの?
」と、不思議に思いました。
 午後3時ちょっと過ぎ、銀行の一日の業務が終わったころ、ようやく私は通帳を作ることができたのです。帰り道で、今度はこっちが日本の銀行の「仕事効率」について、主人に反撃する番になりました。主人は少し前の私と同じように、返す言葉すらなかったようです。

 あれこれを見物して、やはり蘇軾
の言葉は正しいと思いました。確かに「人には悲しみと喜び、別離と出会いがあり、月には姿を現したり隠れたりすることがあり、また丸くなったり欠けたりするようなことがある。人の世の悲歡離合や、月の姿の陰晴圓缺の変化については、昔から、理想通りにすることは難しい。
」ということなのですね。
 その上、私から見れば、それは昔からというだけでなく、外国においても例外なくすべてのことを理想通りにすることは、本当に至難の業だと言わざるを得ません。
 
 蘇軾の最後の文章は、「但願人長久、千里共嬋娟」(離れている人と会うことは叶わないことだが、ただ、せめて願わくば、その人が建康で長生きして、離れた場所でも同じ月を見ることができますように。)とあります。
 「遥か離れた所にいる我々兄弟だが、この仲秋の明月の夜だけは月を共にして過ごそう。」――多くの人は、遠く離れた肉親や友人に対して、この文章を引用して、その無事を祈ってきたのです。
 でも私はその文章から別の意味を読み取ることができます。つまり、「結果が良くても悪くても、とにかく急がないで、しばらくは我慢しなければならない。そうしなければ、
月の円満な姿は見られないかもしれないのだから。」ということですね。

 

※蘇軾……1036~1101。宋代の傑出した文学家、書画家、政治家。古文作家として、「赤壁賦」などの名作を残した。


 

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