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東京四日物語

作者:寧俊偉  来源:贯通论坛   更新:2004-7-7 8:16:00  点击:  切换到繁體中文

 

1日目
   
飛行機  待たされること5ヶ月、さらに1ヶ月にわたる奔走、そして4時間の飛行機の旅、そうこうしてようやく成田空港の外国人入国の通路に立つ私がいました。そのときから私は、外国人の目の中の「外国人」になってしまったのです。   
  入国手続きを終え、学校の通知書に書いてある通り、私は財布の中から3000円の日本紙幣を探し出して、池袋行きのリムジンバスの切符を買いました。
  切符を売るおじさんは私に何かを聞き返したようですが、正直言って私は彼の話を聞き取れませんでした。それでも私の口からは「ハイ」という一言が滑り出ました。切符は2800円でした。
  切符売り場の人は、7番のバス停で待つように教えてくれました。私は「ありがとう」という返事の一言で、日本での初めての外交事務を円満に済ませたのです。   
  7番のバス停の前に止まっていたバスの前で、運転手さんが私の荷物に名札みたいなものをかけ、またその上に何かを書き、乗車手続きも無事に終わりました。
  ゆったりとしたバスの中では、遠くを眺めると路上の景色を見渡せました。東京都内に入ってから、バスは林立した高層ビルの中をどんどん通り抜けていきました。それは、まるで馬車が森を通り抜けるようでした。
  街に火の灯る頃、バスはある高層ビルの前で止まりました。運転手さんはバスから降りて荷物を取り出し始めました。私が何気なくそれを見ていると、突然自分の荷物が降ろされてしまったことに気づき、慌ててバスから飛び降りて運転手さんに尋ねにいきました。というのは、学校の通知書には確かに「終点」というふうに書いてあるのですが、ほかの乗客は降りる気配がないので、ここは終点じゃないだろうと判断したからです。
  私は切符と学校の通知書を運転手さんに見せながら今の場所を聞くと、ここは東池袋だということが分かりました。よくよく思い出せば、切符売り場で私が聞き取れなかったあの言葉は多分「東池袋駅ですか」という質問だったのでしょう。その後の「ハイ」という一言で私はこんな厄介なことを招いてしまったのです。
  東池袋は終点の池袋までそれほど遠くはないし、切符の値段も同じです。私が下手な日本語で精一杯事情を説明すると、運転手さんは「ハイ、ハイ」と、理解を示してくれたものの、そのバスで終点に送ってもらうように頼むと、きっぱりその頼みを断りました。もっとひどいことに、私の説明を無視してバスに乗って去っていってしまったのです。
  そこには、あっけに取られた私がポツンと一人残されたのでした。

空港到着 到着カウンター

  私がどうしたものかと途方に暮れていると、隣のホテルの中から一人のボーイが出てきました。彼は親切に私に声をかけ、そして私の事情を聞いてから、学校に電話をかけてくれたのです。
  また暫く待つと、学校の国際センターの先生がやってきました。先生のやれやれという表情を見た私は、どう説明すればいいか分かりませんでした。
  学校の通知書には、留学生が成田についた時と池袋についた時、2度も学校に電話をするように要求しているのですが、でもその電話は無事だという電話のことを指しており、先生は私の2回目の電話で自分が迎えに来ることになるとは、思いも寄らなかった様子でした。
  今日は留学生達の入学手続きをする日で、迎えにきてくれた先生はたぶん留学生達の電話を待っていたようでしたが、私のドジでここまで出て来なければならなかったのです。
  私はその先生にお詫びをしようと思い、少なくともわざとこうしたわけではないということを説明したかったのですが、とうとう何もいい出せませんでした。  
  その先生は車で私を予約した会館まで連れて行ってくれ、そこで私はようやく本当に安心しました。


2日目   

  昨日は災難続きの一日でした。同情心のかけらもない運転手さん、世話好きのボーイ、さらに、運の悪い先生と次々出会ったあと、やっと無事に目的地に着き、自分の新しい住所で日本での初めての夜を過ごしました。   
  会館のおばあさんは私に2つのカギを渡し、カギをかけることまで丁寧に教えてくれました。そんなことはもう20年前に教わったと思ったのですが、ふと「今まで使っていたカギは中国のカギなのだ。万が一日本のカギは…」と思いつき、用心深くおばさんのお教えを拝聴し、そのしぐさの真似をしました。
  昨日の切符事件があってから、全てのことを真面目に対処しようと私なりに決心したのです。後で気づいたのですが、日本のカギの締め方と開け方は中国と全く一緒でした!   
  私はもう一度、今自分がいるこの小さい部屋を見回しました。部屋はもうそれ以上これっぽっちも狭くできないほど狭いものでした。
  ベッド、洋服たんす、小さな机と椅子のほかに、残った空間はほんの一歩、二歩くらいでした。唯一現代感を感じるものは壁に取り付けられたエアコンと電話です。エアコンはともかく、私は電話をよく観察したのですが、中国の電話と比べて、特別なところはありませんでした。   
  荷物を片づけ終わると、もう深夜になっていました。一日の疲れが体中に溜まっていたので、私はぐっすり眠ってしまいました。
  翌日(つまり、今日です。)午前中に、突然電話が鳴りました。電話からは「寧、起きて!寧、起きて!」という声が聞こえました。
  夢の中でぼんやりとその声を聞いた私は、眠気もすっかり吹っ飛んだので、むっくりと身を起こしました。電話をじっと見つめていると、ふと頭の中でいろんな推測が浮かびました。
  まず、電話向こうの人はなぜ私が寝ていることを知っているのか?まさかこの部屋には監視カメラが取り付けられているのか?それとも前に映画で見たように、彼らは中央情報局やKGBが使う、壁を見通すことのできる望遠鏡で私を監視しているのか?
  それになぜ、彼らは私の苗字まで知っているのか?「寧、起きて!」という呼び声は確かに私のことを呼んでいるではないか!私はここの入館手続きをまだしていないので、会館の人は私の名前を知っているはずがないのです。
  学校の人だろうか?でも今日は休日だし、私に用があるのなら、さっきの電話のように、ただ「起きて!」という一言で後の続きもないということはありえません。まして、彼らはなぜ朝の9時に私がまだ寝ていることを知っているのでしょうか!?
  次に相手は一体何の目的で私を呼ぶのでしょうか?単に彼らが私のことをよく把握しているのだということを告げたかったのでしょうか?
  「こわっ~!」と、思わずぞっとした私でした。でも、私はただのごく普通の留学生で、専門といえば、最も殺傷力のない哲学であり、知名度といえば、私の名を知っている人物で最高の地位の人はかつて働いていた大学の哲学部学部長ぐらいです。
  どうして、日本にきたばかりのこんな私が、人に注目されるのでしょう?彼らは一体どこの人なのでしょうか?「日本の警察?第三国の諜報員?それとも、日本の山口組か!?
  おそろしく不安になった私は、部屋から出てみることにしました。外に出て、小道をゆっくり通っていき、途中ふいと頭を後ろに向けたり、しゃがんで靴紐を結ぶフリをして周囲に目を配ったりして、誰か自分の後をつけてきたかどうかを確認し、昔小説を読んで覚えた反追跡の方法をほとんど全部駆使してみました。
  神経があまりにも張り詰めすぎたせいか、みんなの目が自分のことを見ているように思え、とある家のワンちゃんまで自分のことを気にしているのではないかと、疑ってしまったくらいでした。
  部屋に戻ったとき、もう午後4時過ぎでした。買ってきたものを置いてベッドに座り込んだとたん、あの電話はまた叫びだしました。「ねい、おきて!ねい、おきて!」と。
  私はドアにバッと飛びかかり、開いて外を見ましたが誰もいませんでした。もう一度、ドアの鍵をしっかり閉めてから、私はドイツ人がものを探している時の方法を思い浮かべて、自分も同じように座標を決めて、そして部屋のスペースを細かく分けて、1つ1つをチェックしていったのです。
  しかし2時間もかかって、怪しいものは1つも見つかりませんでした。「やっぱり、自分はもの探しのプロじゃないのだから」と断念しました。
  夕食のとき、食堂で台湾からきた留学生と知り合いました。彼はとても話し好きの人です。慎重に考えた末、私は彼に謎の電話のことを打ち明けました。すると、
  「それは電話の呼び出し音です。つまり今日は2回もあなた宛の電話があったということですよ。その電話の呼出し設定には5種類の声の設定があり、もし今の設定がお気に召さなかったら、ほかの設定に換えればいいのですよ。」と、彼は何気なくそう言いました。
  「Oh、My God!なんで私は、日本人が普段、人を呼ぶとき「ねい」を使うことをコロッと忘れてたのか!?あぁ、さっき私のやったデタラメなことを彼にいわなかったのでよかった!!」

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