昔の浪人や荷を護送する用心棒たちの間に「森に出逢っても入ることなかれ」という言葉がありました。実に、いまの日本人の習慣もそのとおりなのです。
中国にいたとき、よく散歩に出かけたものでした。散歩といえば、もちろん紫山緑水を探すこと以外にありません。足に任せ、好きなところに行き、山に逢ったら登り、森に逢ったら入ることで、別に決まりがありませんでした。しかし日本ではそうはいきません。実は私には、散歩していて容疑者と誤解され警察に捕まった経験があるのです。
それは家内が埼玉医大病院に入院していたときのことでした。その頃、私は5歳の娘を連れてよく病院に妻を見舞いに行っていました。駅から病院までおよそ1キロの距離があり、送迎バスも出てましたが、乗り遅れたらまたかなり長く待たされることだし、タクシーに乗るのも、もったいないと思ったので、いつも病院まで歩くことにしていました。娘は歩くことを嫌っていて、私が娘を背負って歩くこともしばしばありました。それゆえ娘の散歩に対する興味を引き出すためもあり、歩きながら道端の風景を指差し彼女の関心を引くのに懸命になっていました。
暫くして、私は途中で近くの山に神社があることに気づき、しかもその神社がこんもりと茂った杉の森に囲まれていることを知りました。それからというもの病院から帰るたび、必ず森の中に入り、散歩を楽しんでいたのです。聳えた杉の木が天を遮り、日差しが無数の剣のように濃密な葉の群れの中からびっしりと挿し込んできて、黄金色に輝く光の柱をつくっていました。地面がふわふわとした落葉と枯枝に覆われ、参道もコケむして、私たちは森に入るたびに、気ままに思う存分走ったり、叫んだりしていました。私たちの叫び声が遠くまで響き、そのこだまが返ってくるまで、時間がたっぷり掛かりました。
その森をすっかり気に入った娘は、その日を境にとてもいい子になりました。病院に行っても、お母さんにすがりついて離れなくなることもなくなり、私が帰ろうというと、彼女はすぐに帰るようになりました。彼女は帰り道のあの森を見たがっていたからです。
ある日一人で病院から帰る途中、あの杉の森に寄ることにしました。山を下りながら、子供の頃によく山道を勢いよく走ったことを思い出したので、急に今の自分の走りを試したい気分になりました。「さあ、いこう!」と、私は超スピードで走って山を駆け下りました。
しかし森から出たとたんに、二人の警察官に呼び止められたのです。警察官に「あなたはあの山から下りてきたのか。」と聞かれ、「はい。」と答えました。すると、警察官は問答無用とばかりに(是非も問わずに)私をパトカーに押し込んだのです。「悪いことをしていないのだから、パトカーを怖がるものか。」と、私は堂々と中に入りました。1分もしないうちに、山から一人のおじいさんが追ってきました。警察官に導かれるまま私を一目見たおじいさんは、「服が違うから、彼じゃない」と呟きました。
その時になって警察官は、私に事の経緯を聞くことを思い出したようで、私にいくつかの質問をしました。私の話を聞いてから警察官は、「もう行っていいよ。」といいました。でも、事はまだ終わらなかったのです。警察官が駅まで尾行して、私の証明書を見て、ようやく去っていったのです。
その事件の後、私はとても気が滅入りました。ある日本人の友人に電話をしてその事件について話してみました。すると彼は聞くなり、電話の向こうで笑いを止めることができなくなってしまいました。
一般に日本人はおとなしく歩くことが普通なので、いつも決められた道しか歩かない、しかも、昼間はみんな忙しくて、森に入る人はめったにいないというのです。だから、私が悪人に見られたのも、ちっとも不思議ではないと、その日本人の友人は言いました。それに、私が無実の罪を着せられなかったことについても、とてもラッキーなことだったと、最後に彼は言い添えました。
そのとき私は「森に出逢っても入ることなかれ」という古人の先見の明の言葉を、二度と忘れることはないだろうと思いました。